高嶋秋穂さんの『詩誌時評・句誌』『No.088 「大特集 季語の本意~秋編~」(角川俳句 2017年09月号)』をアップしましたぁ。歌誌時評はホッとするところがあるなぁ。簡単に言えば雑誌の作り方も著者も極めて真っ当。常識的です。俳壇や自由詩の詩誌は、あんたらまともぢゃないよ、と言いたくなるところがある。でもまともぢゃない人たちが徒党を組んでいるのでこっちがおかしいんぢゃないかと思えてくる。
漱石先生の『吾輩は猫である』でクシャミ先生は、『気狂も孤立して居(い)る間はどこ迄も気狂にされて仕(し)舞(ま)ふが、団体となつて勢力が出ると、健全の人間になつて仕舞ふのかも知れない。大きな気狂が金力や威力を濫用して多くの小気狂を使役して乱暴を働いて、人から立派な男だと云(い)はれて居る例は少なくない。何が何だか分からなくなつた」と書いて「ぐうぐう寐(ね)て仕舞」うわけですが、寝ちゃうのが精神的には一番健全かもしれません。
高嶋さんは『短歌である限り流行小説家のような有名人にはなれない。あるいは短歌でポピュラリティを求めても一過性の新し味や流行で終わる。そんなことをしていたのではいつか短歌から離れ歌を止めてしまうだろうということでもあります。短歌に限りませんが経済的社会的見返りがあまり望めない詩の世界では詩を本当に愛しているかどうかが創作を続ける原動力になります。それを考えれば多少の才能よりも「自分が歌を愛していること、そして作歌に喜びを感じていること」の方が重要です』と批評しておられます。
こういった批評にある程度素直にうなずいてくれるのは歌人が多いだろうなぁ。俳人・詩人は脊椎反射で反発するでしょうが、威勢のいい割にはたわいもない。作家は自らの表現ジャンルで自足していること、つまり自ら満ち足りていることがとっても大事です。不満があれば顔に出るし表現にも出て作品が卑しくなる。俳人・詩人は不満そーな顔をした人が多いように思います。現実、歌人はけっこう陽気なんだな。好きですぅ。
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.043 特集「技と心と。歌人のための短歌の心得 新・作歌問答」(角川短歌 2017年09月号)』 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■