小原眞紀子さんの連作詩篇『『ここから月まで』 No.024 鎖/数/姿』をアップしましたぁ。小原さんのCool抒情詩第24弾です。抒情詩といっても小原さんの作品は突き放した感じです。
やがて影がながく
すべてを覆うから
たしかめるかわりに
灯りをつける
そこにいる
ずっといる
いなくならない
いなければここはなく
いなければときはない
(小原眞紀子「姿」)
んなこと書くと詩人方面から批判を受けそうですが、自由詩の世界、まあはっきり言って谷川俊太郎一人勝ち状態です。つーか谷川さんくらいしかポピュラリティ、読者の支持を得ていません。1980年代後半くらいまでは、かろうじて戦後詩・現代詩がまだ元気で、その時期は『谷川俊太郎って、抒情の人でしょ』って感じで、はっきし言ってそんなに大事にされていなかった。それが今は昔ながらの詩のメディアも谷川さんに頼り切りといふ状態です。
これは詩人たちが悪い。詩は自由詩ですから、詩人は最初に〝自分の自由を選択〟します。詩の作り方、書き方を自分で選んで限定するわけです。無限の自由は拡散するだけで、表現としてまとまりませんからね。んで多くの詩人が戦後詩・現代詩の書き方に沿った方法を選ぶ。モダニズムとシュルレアリスムの方法を混交させた方法って言ってもいいかな。それ自体は問題ないんですが、その方法、選択が限界に来ているのに昔の方法の固執し続けている。
今現在、戦後詩・現代詩・モダニズム・シュルレアリスム的、つまりいわゆる〝現代詩〟の書き方が受け入れられず限界に来ているということは、詩人たちの選択が間違っていた、あるいはその選択に深みがなく、時代の変化に対応できなかったことを示しています。ここまで状態が悪化しているなら、普通、もっとあがきますよねぇ。でも多くの詩人たちがいわゆる一昔前の〝現代詩〟の方法と詩壇序列にこだわっているように見えます。
ただそこから脱却しようとしている詩人もいるわけで、小原さんもそのお一人です。この方、詩も小説も評論も書くマルチ・ジャンル作家です。石川はこの方向性は正しいと思うんだな。詩だけじゃなく、小説、短歌・俳句も、文学全般が苦戦を強いられる時代です。つまり文学全体の市場が狭まっている。こういう状況の中では、ある文学ジャンルをメイン表現フィールドにするとしても、文学の世界全体を総体的に把握できる視線と知性が必要です。
すべてが絡み合っているのが現代世界です。情報化時代ですから、生半可な知識と実力では生き残れない。読者はどんどん〝本物のプロ〟だけを選ぼうとするでしょうね。現状のジャンル縦割り文学はどこかで打破というか、変化しなければならないわけですが、その嚆矢となるのは、やはり明治維新以来、日本文学でずっと前衛の役割を担ってきた詩人がふさわしいと思います。つーかそういった形で前衛性を発揮しなければ、日本文学での自由詩の役割は終わる。自由詩って前衛です。前衛ぢゃなければ自由詩の本領ではないと思います。
■ 小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』 No.024 鎖/数/姿』縦書版 ■
■ 小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』 No.024 鎖/数/姿』横書版 ■
■ 第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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