純文学エンターテイメント作家、遠藤徹さんの新連載小説『ムネモシュネの地図』『第01回 象の鼻先(プロローグ)』(第01回)をアップしましたぁ。遠藤さんによる、ラノベ風の探偵小説です。石川は文学金魚編集人ですから、当たり前ですが文学金魚連載の全作品を読んでいます。完成している作品の場合は、連載で組版する時などに読み直します。遠藤さんに小説を掲載していただくのは4回目ですが、彼の作家としての能力は高いです。
日本の出版界は縦割りで、書店も基本縦割りです。本は純文学、大衆文学、詩などに区分されます。大衆文学はさらにSF、サスペンス、ホラー、ラノベ、推理などに細分されています。この区分、とても厳格です。一人の作家が純文学や大衆小説、詩を書くことができても、本は縦割りで配本され書店に並びます。またたとえばSF作家としてデビューすると、そのレッテルがいつまでもまとわりつく。純文学を書いてもイロモノの目で見られます。文学業界の、そのまた小さな純文学業界から、白眼視されるようなところがあるのです。ある作家の書き手としての力が、いかんなく読者に伝わるシステムになっていないわけです。
なぜこういう出版システムが実体として出来上がっているのかは、2つの理由があります。一つは言うまでもなく、出版側が本を売りやすくするためです。本はジャンル別に配本されるので、ホラーならホラー小説の内容を備えていないと困るわけです。もう一つは作家の力量と意識の問題です。力のある作家でも他力本願にならざるを得ないシステムが現実にあります。たとえば大衆作家が純文学を書いても、版元の都合に知らず知らずのうちに合わせてしまう。そうすると本来作家の中にあった、大衆文学と純文学の一貫性がどうしても崩れてしまう。また作家はある文学ジャンルにしがみつく傾向があります。純文学で評価されるとすぐそれが世界全体となってしまうのです。その世界の中で小さな仕事を積み重ね、その業界のヌシになってゆくようなところがあります。そういう作家集団が、マルチジャンル作家の参入を阻んでいる所があります。
文学金魚は総合文芸誌ですから、このシステムを変えたいと思います。もちろん既存出版と書店のシステムは簡単に変えられませんが、文学金魚のスタンスは作家中心主義です。簡単に言うと、少なくとも文学金魚プラットホームにおいては作家の全貌が見えるようにします。たとえば遠藤さんの作品は〝遠藤徹文学〟という括りで良いのであり、一人の作家から複数の文学ジャンルが派生していることを誰の目にもはっきりわかるようにするということです。
もちろんそれには作家の側の意識の変化も必要です。他力本願から自力本願に意識を変えなければならないわけですが、それはなかなか大変です。作家としての意地を通さなければならないでしょうね。ただそういった作家が現れなければ、現在の文学界の低迷は変化しないと思います。どの文学ジャンルでも常にヒット作は出ます。版元は当然、売れた本の延長線上にあるコンテンツを望む。それは作家の消費システムとして作用します。同じことをしていたのでは必ず賞味期限が切れる。作家は変化し文学的表現の幅を拡げてゆかなければ生き残れません。特に現代はそうです。経済学者で日本経済のことしか分からないという専門家はいない時代です。文学だけは例外ということはあり得ない。幅広い作家能力の一貫性を保証する新たな文学システムが必要です。
言うまでもなく、そういった仕事ができる作家は一握りしかいません。大半の作家はあるジャンルの中で頭角を現し、そこで作家としての地位を確実なものにしたいと望むでしょうね。それはそれでいっこうに構いませんが、文学金魚が目指すのは新たな文学ウェーブです。詩と小説であれ、小説ジャンル内部であれ、マルチジャンル作家を重視します。現代のような情報化社会では、文学者は文学のプロ中のプロであることを求められます。詩はわからない、小説は読んだことがないでは現代世界のごく一般的な読者を納得させられない。一人の作家の総合的知性が、総合文学として現れることが現代文学の一つの理想だと思います。
今も昔も文芸誌は、全体として基本的には総合文学を目指しています。小説文芸誌でも詩を巻頭に置き、小説、評論、エセーなどを並べます。雑誌全体として文学全体を把握しようという指向はあるわけです。しかし実体は縦割り。詩にはまったく興味のない作家が小説を書き、小説や詩の創作はまったくダメという批評家が、創作めいた曖昧で低レベルな評論を書く。優れた作家はほんの一握りで、むしろ各作家のレベルは下がっている。昔ながらの総合文学のフレームを漠然となぞりながら、どんどんそこから遠ざかっているわけです。有機的なつながりのない形骸化した総合文学フレームがある分、各文学ジャンルの細分化と固着化が目立って見えます。
こういった現状は優れた作家の出現と、それを際立たせる新しい文学システムによってしか変えられないと思います。ずらりと様々な著者を並べて見せれば表向きは総合文学誌に見えますが、それは従来的な形式をなぞっているだけです。出版社と編集者の自己満足で終わりますな。文学金魚、それはやりません。やってもムダだからです。新しいタイプの著者が現れ、それを活かすことができるプラットホームが出現しなければ、バラバラの杭はいつまでたってもバラバラのままです。総合文学的資質を持つ作家に徹底して書かせます。確信的自覚を持った作家主義が文学金魚の基本です。これは当然といえば当然のことです。文学は文芸誌ではなく、昔からずーっと作家によって支えられてきたのです。
■ 遠藤徹 新連載小説『ムネモシュネの地図』『第01回 象の鼻先(プロローグ)』(第01回)縦書版 ■
■ 遠藤徹 新連載小説『ムネモシュネの地図』『第01回 象の鼻先(プロローグ)』(第01回)横書版 ■
■ 第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■