一条さやかは姉で刑事のあやかのたってのお願いで、渋谷のラブホテル街のど真ん中にある種山教授の家を訪ねる。そこはラブホテル風の建物だが奇妙な博物館で、種山教授は奇妙に高い知性の持ち主で、さやかは姉が担当する奇妙な事件に巻き込まれ・・・。
純文学からホラー小説、文明批評も手がけるマルチジャンル作家による、かる~くて重いラノベ小説!
by 遠藤徹
象の鼻先
ずっとずっと昔の話。
ある暑い国に、自分が誰なのかを忘れてしまった象がありました。自分が誰なのかわからないので、その象は自分が見たものになってしまうのでした。この象のことを知った王様は、国中の鏡を隠させました。その象が自分の正体を知ることがないようにするためでした。
あるとき、穀物がたわわに実った季節に、ネズミの大群が国境を越えて押し寄せたことがありました。このままでは国中の作物が食い荒らされてしまいます。すると王様は、
「あの象を連れてこい」
と家来たちに命じました。ネズミの大群の前に引き出された象は、ネズミを見たとたんネズミそっくりになりました。目の前に現れた巨大なネズミに驚いたネズミたちは、これこそ自分たちの王だと思って膝まづきました。王様は、ネズミそっくりになった象の後ろに隠れると、
「お前たち、すぐにこの国を去るがよい」
と告げました。
「わかりました。わが王よ」
ネズミたちの長が恭しく答えます。
「しかし、聡明なる王よ、ご覧ください。われらはこれだけの大家族です。しかも、皆ひどく飢えておるのです。われらの腹を満たすにはどうすればよいのでしょうか。どうかお教えください」
「南へ向かえ」
象の陰から王様が厳かに告げました。
「さすれば、汝らの腹ははちきれんばかりに満たされよう」
「ありがたきかな、偉大なる王よ。御意のままに」
そういうと、ネズミたちはいっせいに南に向かって走り去りました。それを見て国民は喝采を上げ、国王はひとりほくそえみました。なぜなら、南にはかねてから敵対していた国があったからです。実際、敵国はネズミによってさんざんな被害を受けました。弱り切った頃合いを見計らって、王様は軍隊を派遣してこの国を支配してしまったのでした。
それからしばらくして、今度は巨大な台風が接近してきました。海から上がってきたその巨大な台風は、家屋も城もなにもかも根こそぎに吹き飛ばしながら、王様の国に近づいてきたのでした。
「あの象をここへ」
王様が厳かに告げました。いまだに自分が何者なのかわらかないままの象は、今度は風車を見せられました。そして、巨大な風車となったのです。
「さあ、お前は風車だ。回れ回れ。そして、あの台風を吹き飛ばしてしまえ」
王様がそう命じるまでもなく、風もないのに象の風車はぐるんぐるん回り始めました。そこからは台風よりも力強い風が生まれて、せまってきた台風と押し合いへし合いし、最後には台風を押し戻してしまいました。王様の国に入れなかった台風は、怒りでさらに膨れ上がりながら、周辺の国を激しく荒らして通り過ぎました。災害で弱り切った隣国を、王様の軍隊が次々と従えていったのでした。
こうして、王様にとって自分が誰だかわからない象はなくてはならない存在となったのです。金色の象舎に住まわされ、豪華な食事を与えられてはいましたが、象はちっとも幸せではありませんでした。
数年が過ぎました。戦争の時、象は神殿の前に飾られた巨大な龍の彫刻を見せられました。龍になった象は、大暴れして敵国を散々な目にあわせました。畑を開墾するときは、水牛の群れを見せられ、巨大な水牛となって犂を楽々と引っ張りました。
象はいまや王に次ぐ位を与えられ、王に次ぐ豪華な食事と王に次ぐ立派な衣装を与えられるまでになりました。王様は象のことを「わが片腕」とまで呼んで大切にしました。けれども象はちっともしあわせではありませんでした。なにしろ、自分が誰なのかがわからないのですから。
やがて、王が老いたころ、象もまた老いてきました。そんなある年の雨季のことでした。未曾有の大雨と、それに伴う大河の氾濫が起き、国中が水浸しになってしまいました。
「象をここへ」
と王は命じました。けれども、引き出されてきた金ぴかの象に、王は今度は何も見せはしませんでした。
「此度は、お前はその姿のままで水をくみ出すがよい」
そう命じたのです。畑や家屋から、鼻で水を吸い上げてくみ出す仕事を仰せつかったのでした。水をくみ出すたびに、象は見慣れないものを目にしました。水を吸い上げようとすると水面に、鼻の長い大きな生き物の姿が浮かんでいたのです。でも、水を吸い上げてしまうとその姿は消えてしまうのでした。その姿になりかけては、水がなくなってしまうので象はもとに戻りました。
やがて、ほとんどの水を吸い上げつくしたころ、老いた象は疲れを感じました。もうこれ以上吸い上げるのは無理だと感じたのです。目の前に残った最後の水面を見つめながら、象はため息をつきました。
するとどうでしょう。水面に浮かんだ鼻の長い生き物もまた、大きなため息をついたではありませんか。そのときでした。象は気が付いたのです。これこそが自分だ。自分はあれだ、象なのだと。
おおおおおん、と幸せそうな声をあげると象は最後の畑から水をくみ上げました。そして、金ピカの冠や衣装をかなぐり捨てると、満たされた表情で眠りについたのでした。そう、もう二度と目覚めることのない眠りに。
(タイの山岳民族に伝わる説話)
(第01回 了)
* 『ムネモシュネの地図』は毎月13日に更新されます。
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
■ 遠藤徹さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■