佐藤知恵子さんの文芸誌時評『大衆文芸誌』『No.114 中山七里「二人で探偵を 静おばあちゃんと要介護探偵」(オール讀物 2017年02月号)』をアップしましたぁ。「二人で探偵を 静おばあちゃんと要介護探偵」は続きモノ小説です。大衆小説の醍醐味の一つである連続小説ですね。
大衆小説の楽しみが、続きモノにあるのは確かね。連続モノのドラマと一緒よ。キャラクターがはっきりした登場人物がいて、その器の中で次々に事件が起こってゆきますの。外枠がしっかりしていれば、安心して物語を楽しむことができますわ。もちろんどんな枠が好みなのかは人によって異なります。だけどあらかじめ枠組みがしっかりしてないと、続きモノはなかなかうまくいかないわね。最初の設定がとっても大事なのよ。
中山七里先生の「二人で探偵を 静おばあちゃんと要介護探偵」は、今号から始まった続きモノ小説ですが、さすがにお上手ね。初回ではっきり主要登場人物のキャラクターが描かれていて、後でご活躍なさるだろう登場人物たちがスリップされています。また現代社会の問題点を取り込んでいて、地方性も豊かなお作品ですから、テレビドラマ化もしやすいと思いますわ。もち流行作家様は、そういったことまでお考えになってお作品をお書きになるのよ。
佐藤知恵子
純文学作家の卵さんの中には、ちょっと大衆小説作家をバカにするような傾向がありますが、このジャンルはものすごく厳しいです。純文学系の作家は、書こうと思えば月産100枚くらいは原稿を書けると思いますが、大衆作家は300枚近く書くのが普通です。300枚原稿を発表できるということは、それだけ需要があるということです。つまり売れている作家にしかそういった依頼は来ない。売れない作家はどんどんふるい落とされてゆくということでもあります。
もちろん書けばいいというものではない。ただ大衆作家には高い矜恃があります。売れていること、次の作品を心待ちにしている読者を抱えていることです。じゃあ純文学作家にはどういった矜恃があるのか。単純化すれば〝売れなくても文学的意義のある小説を書いている、日本文学に寄与する作品を生み出している〟ということになるでしょうね。志が高いのはいいことですが、実態を見ると『ホントかね』と思ってしまう点もなきにしもあらずですね(爆)。
詩も含めて純文学系の作家はたくさんいますが、そのアイデンティティがやはり大きく揺らいでいる時代だと思います。はっきり言えば、大衆小説のジャンルは大正時代頃の小説ジャーナリズムの揺籃期からずーっと健全ですが、純文学はここに来て不健全になりつつある。根本的に純文学を立て直す時期に入っていると思うのでありますぅ。
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評 『大衆文芸誌』『No.114 中山七里「二人で探偵を 静おばあちゃんと要介護探偵」(オール讀物 2017年02月号)』 ■
■ 第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■