大衆小説の楽しみが、続きモノにあるのは確かね。連続モノのドラマと一緒よ。キャラクターがはっきりした登場人物がいて、その器の中で次々に事件が起こってゆきますの。外枠がしっかりしていれば、安心して物語を楽しむことができますわ。もちろんどんな枠が好みなのかは人によって異なります。だけどあらかじめ枠組みがしっかりしてないと、続きモノはなかなかうまくいかないわね。最初の設定がとっても大事なのよ。
中山七里先生の「二人で探偵を 静おばあちゃんと要介護探偵」は、今号から始まった続きモノ小説ですが、さすがにお上手ね。初回ではっきり主要登場人物のキャラクターが描かれていて、後でご活躍なさるだろう登場人物たちがスリップされています。また現代社会の問題点を取り込んでいて、地方性も豊かなお作品ですから、テレビドラマ化もしやすいと思いますわ。もち流行作家様は、そういったことまでお考えになってお作品をお書きになるのよ。
「社会保障と犯罪は表裏一体です。現在の人口グラフを眺めていると、十年後の日本が老人犯罪大国になっているような気がしてなりません。全国各地の刑務所は、さながら老人ホームと化しているかも知れません」(中略)
「あんたの講話は面白うないな」
一瞬、その場が水を打ったように静まり返る。
声の主は件の老人だった。なりは小さいのに声は朗々として会場いっぱいに響き渡る。
「ギャラをもらっておるのなら、もうちっと工夫してくれんと」(中略)
「話が退屈に思われたなら、わたしにも勉強の余地があるのでしょう。しかし今の雑言は年相応のものとは言えませんね」
「ああ、それはあんたの言うとおりやね。年相応の行儀や枯淡は好かんのでな」
「失礼ですが、お名前を」
「玄太郎、香月玄太郎という者や」
何故か老人は嬉しそうに見得を切った。
(中山七里「二人で探偵を 静おばあちゃんと要介護探偵」)
「二人で探偵を」の主人公は二人います。一人は高円寺静で、元東京高裁の判事で今は引退しています。引退して十八年経つとありますから、八十歳近い高齢ということになります。ただ今でも女性判事は珍しく、静は大学の講義や講演で引っ張りだこです。静は名古屋法科大学の記念式典に呼ばれて講演することになったのですが、会場で「あんたの講話は面白うないな」と大声でヤジを飛ばす老人がいます。それが二人目の主人公、香月玄太郎です。
玄太郎は静よりも年下ですが、やはり老人です。また彼は健常者ではなく車椅子に乗っています。下半身が不自由なのです。つまり玄太郎は安楽椅子探偵の一人ということですね。アームチェア・ディテクティブは杓子定規に言えば、安楽椅子に座ったまま部屋の外に出ないで事件を解決する高い知性と洞察力を持った探偵のことです。玄太郎はヘルパーに車椅子を押させて縦横無尽に走り回るので、古典的アームチェア・ディテクティブではありません。しかし介助が必要です。この介助者、つまりシャーロック・ホームズでのワトソン君の役割を果たすのが静というわけです。
「中署の署長は洪田やったな。玄太郎が現場におると伝えてくれ。知りたいことがある」
「何をお知りになりたいんですか」
「台座の中に埋められとるヤツに見覚えがある」
どうして警察官たちが、この高慢な老人に従っているのか静には不思議でならない。片淵に尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「現政権党の副幹事がどなたかご存じですか」
「宗野友一郎でしょう」
「彼の選挙区は愛知一区でしてね。後援会長は香月社長が務めていらっしゃいます」(中略)
結局は財力にものを言わせて権勢をほしいままにしているだけの老人ではないか。あの傍若無人の振る舞いも居丈高の態度も、全ては権力を笠に着ての行いなのだ。
一般市民がカネの力で政を操作するなど醜態でしかない。その類の話が嫌いな静は玄太郎への嫌悪をますます強める。
(同)
静の講演が終わって会場でパーティが開かれている最中に、爆発が起こります。静たちを狙ったものではないですが、大学構内に設置されたモニュメントの台座が破壊され、中から死体が覗いていたのでした。玄太郎はすぐさま車椅子を押させて現場に行きます。玄太郎は中の死体に見覚えがある、櫛尾奈津彦という名の彫刻家で何度か仕事をしたことがあると言うのです。
静は玄太郎と警察官の会話から、玄太郎が地元の大手建築会社の社長で、政界とも太いパイプを持つ有力者であることを知ります。ただ長年判事を務めた静には、玄太郎の振るまいが権力を笠に着た横暴にしか見えません。自分も講演した記念式典の最中に起こった事件なので、静も事件に巻き込まれてゆきます。玄太郎の暴走を止めるために事件に深く関わってゆくのだと言ってもいいでしょうね。公正を旨とする元判事の静と、社会的ルールを無視する玄太郎は、基本的に水と油なのです。
この設定が、長い間には静と玄太郎の融和、つまり友情に変わってゆくのは言うまでもありません。杓子定規な法を振りかざす静を、大胆な行動によって玄太郎は揺さぶってゆくのです。また玄太郎は権力の闇を知る人間です。社会が抱えるどうしようもない矛盾に精通した人間だと言ってもいい。玄太郎には恐らく秘密がある。それが二人主人公、つまり静が一方の主人公に設定された理由です。彼女は裏表の無い正義漢ですが、その鏡の中に、一筋縄ではゆかない玄太郎と社会の複雑さがじょじょに映し出されてゆくはずです。
「ただですね、判事。あの中部経済界の怪物にも弱みがあるんですよ」
「身内にどうしようもない放蕩息子でもいるのですか」
「年上の女性に弱い」
聞いた途端、腰が砕けそうになった。
「いや、別に色恋云々の話ではなく、年上の女性相手には乱暴な振る舞いが影を潜めるようなんですよ。何と言いますか頭が上がらない、みたいな。先から判事に対する反応を見ていて、その思いを強くしました」(中略)
静はようやく桐山の狡猾さに気づいた。この男は自分の倫理観を見越した上で、玄太郎のお目付役を押しつけようとしているのだ。
(同)
どんな組織でも中間管理職は辛いものです。「二人で探偵を」では桐山刑事がその役割です。桐山は捜査情報を教えないなら、お前の頭越しに上司に談判して情報を引き出すぞと玄太郎に恫喝されて渋々情報を与えます。ただ桐山は単にマゴマゴする道化役ではありません。スマートな刑事であることも示唆されています。桐山は玄太郎の弱点を見抜いていて、静を彼のお目付役に据えてしまうのです。
また玄太郎の車椅子を押すみち子と呼ばれる介護士もくせ者です。まだ若い女性ですが、黙って玄太郎の我が儘な指示に従います。玄太郎が単身犯人の元に乗り込んでゆくときも、みち子が車椅子を押しています。犯人と玄太郎が言い争い修羅場になりそうになっても、我関せずといった様子で平然とその場に立っています。みち子は第一話ではスリップ的な登場人物で一言も言葉を発しませんが、この女性もワケアリのキャラクターですね。お話が進むにつてれ彼女の出番があるはずです。
で、なぜ爆発が起こったのか、なぜ後から死体を入れることのできないはずの巨大なモニュメントの台座に死体があったのか、犯人は誰なのかは実際にお作品を読んでご確認あそばせ。ただ「二人で探偵を」という小説は、謎解きがメインのお話ではございません。キャラクターの活躍を楽しむ小説なの。初回を読んだだけでも、必要十分なキャラクターの枠組みがきちんと設定されていますことよ。
佐藤知恵子
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