日本には「本音と建て前」という言い方がありますわ。俗に言うとイギリスやアメリカ人などと比べ、日本人ははっきりYES、NOを言わないってことですけど、その根はけっこう歴史が古いと思いますの。江戸時代には成立しているんじゃないかしら。
江戸は儒教が国是の時代でした。武士、農民、工人、商人にはそれぞれ〝分〟があるという教えですわ。それが封建社会の身分制度を作っていたわけですが、社会でどんな仕事に就いていようと、それぞれの人間が、分、つまり公的理想を持っていなければならないということでもありますわね。だけど理想と現実にはどうしたって開きがある。それが本音と建て前という日本人の態度を作っていったように思いますの。
青山文平先生はアテクシの大好きな時代小説作家様で、どうして好きなのかなーと考えてみると、本音と建て前、つまり理想と現実のギャップにこだわっておられるからだと思いますの。そのあたりが通り一遍の封建時代の縛りを描く、ほかの時代小説作家様とは違いますわ。江戸を舞台にして社会制度の息苦しさばかりを描いたり、現代小説にすると説得力を持ちにくい現実からの逃走を描く方が、理想と現実のギャップにこだわるよりずっと楽なのよねぇ。
青山先生の「遠縁の女」も素敵な作品でございました。だけど前半と後半で二つに割れているようなお作品でござーますわ。理想と現実といったって一筋縄ではいきませんの。理想は常に現実によって浸食され、現実は常に理想によって導かれている。それが人間の社会というものだわ。その関係を、少なくとも〝とても難しい〟といった形で描いてくださるから、アテクシは青山先生のお作品を愛読しておりますの。
「平時でも変わらん。役方でもな。なんらかの寄合で、それぞれに持ち寄った策が合わなかったとしよう。はっきりと優劣が見えているならともあれ、そうでなければ、最後には腕の立つ者の策が通る。それもまた、剣なのだ。いや、それこそが剣と言ってもいい。物言わずとも伎倆が伝わって、知らずに気圧される。武家だからな。そんなことが三度、五度とつづいてみろ。気づいたときには、相当の開きがついている」(中略)
「厄介になりそうなときでも、揉める前に周りがそれとなく譲る。遠慮する。で、日々の御勤めの苦が薄れる。剣を磨くことによって、学問もより生かされるというものだ。己れを通すことができれば、身すぎは易い。(中略)そうして当主が健勝でいるということは、家が安泰であるということだ。すなわち、家のためである」
父の言い分にいちいち得心してしまうのは、その言葉が頭ではなく躰で編んだものだからだろう。
(青山文平「遠縁の女」)
「遠縁の女」の主人公は東北の藩の上士の家の跡取り息子、片倉隆明です。時は寛政で、御一新にまではまだ時間がありますが、幕藩体制が揺るぎ始めた時代です。余計なことを言いますと、江戸封建社会を描きたい大衆時代の時代設定は、寛政、享和、文化、文政時代に設定されていることが多く、下限は天保ですわね。天保に続く弘化、嘉永時代になりますと幕末動乱の響きが聞こえてきて、小説のテーマを現代に食い込ませてやる必要が出てくるからです。江戸の太平の世を描きたいのか、現代社会の基礎となった幕末動乱を描きたいのか、その敷居になるのが弘化・嘉永時代ということです。
徳川方と豊家側が覇権を賭けて正面衝突した戦国時代は遙か昔で、かといって、御維新につながるはっきりとした道筋が見えていない時代の影響は、東北田舎藩の若者にも及んでいます。隆明は悩んでいます。剣が好きなのですがいくら努力しても上達せず、好きではない学問はなぜか優秀です。隆明は太平の世に剣の力がさほど役に立たないことを知っています。その隆明に、父の達三は剣の武者修行に出るよう勧めます。
達三が孝明に説く言葉は理想をベースにした現実認識です。剣は現実生活では何の役にも立たないのではないかと惑う隆明に、達三は剣の道を究めれば、同僚たちは「物言わずとも伎倆が伝わって、知らずに気圧される。武家だからな」と説きます。武士の本義は剣にあるという理想論です。さほど裕福ではない家の経済を心配して隆明はためらいますが、結局は父の言葉に従って武者修行に出ることにします。せいぜい二年と思っていた隆明に、父は「五年の算段で行ってこい」と言います。隆明の性分では、剣の道を究めるにはそのくらいの時間が必要だろうと言うのです。
沢村さんは居住まいを正し直してから、つづけた。
「そうしたところ、片倉さんから、いましがたのお話をお聞きしました。同じ強さでも、武家の強さは生きるための強さではなく、死ぬための強さである、と。わっ、と思いました。初めて、躰ではなく、言葉で、目が開かれた。そういうことだったのかと、心底から得心した。まるで、一気に、霧が晴れるようでした」(中略)
「そのとき、目の前に片倉さんが居られました。前々から求めていた、本物の武家の修行者がいました。片倉さんに試しをお願いできれば、望外の喜びです」(後略)
(同)
迷いながらも隆明の剣は上達してゆきます。二十三歳で国を出たのですが、五年の歳月が流れて二十七歳になっています。隆明が最後に逗留した道場は、太平の世でも剣の道を究めたいと願う武士たちの間で伝説のように語られている稽古場です。
江戸時代、藩が不祥事を起こしそれが幕府に知れると、極刑はお家取り潰し、そうでなければ藩の移転、つまり転封という罰がありました。その道場は転封の憂き目に遭った藩が治める場所にあり、領民は荒んだ武士の標的になりやすかった。そのため農民たちは法の編み目をかいくぐって道場を作り、自警団的組織となって武力を蓄えていました。そうなると、その土地を一時の逗留場所としてしか考えていない武士たちの支配欲が逆に萎えてしまうのでした。
農民たちは強いのですが、隆明はこの道場で、武士の剣と農民の実践的な剣との違いに気づきます。またしばらくすると同宿者ができます。沢村松之助という若い武士で、彼も悩みを抱えていました。松之助は豪農の息子で、武家株を買って下士ながら武士になったのでした。沢村は隆明と稽古するうちに、「武家の強さは生きるための強さではなく、死ぬための強さである」ことに気づきます。農民の出というコンプレックスを解消するためにも、沢村は隆明との試合を望みます。木刀を使い、どちらかが大怪我をするか、もしかすると命を落とすかもしれない真剣勝負です。隆明も自分の武者修行の集大成として沢村との試合を望みます。
このあたりの記述は、武士道論としてもとても魅力的です。武士の強さが「死ぬための強さ」であることは、平安から鎌倉時代に書かれた説話集などにはっきり表現されています。江戸の太平の世になっても、武士たちはどこかで彼らの原点を探し求め、確認し続けていたのです。しかし隆明は結局、沢村と試合することはありません。国元からの仕送りを飛脚問屋に取りに行くと、父親が急逝したのですぐに帰国せよという手紙が届いていたのです。五年ぶりに国元に帰ってからが、この小説の第二部ということになります。
「父も人望がなかったけど、誠二郎さんもなかった。いくら道習堂の首席でも、下士で剣を嫌う人に武家は付いていかない。人望がない二人が組んだら、どうなると思う? もう、誰も洟も引っかけない。百姓からも相手にされない。(中略)それが、ぜんぶ、誠二郎さんに向けられたの。あなたと比べるのよ。(中略)案件がうまくいかないって、なにもかも誠二郎さんのせいにするの。それだけじゃない。ほんとうは、あなたと組むつもりだったのに、仕方なく誠二郎さんとやってるんだって、ねちねちねちねち。(中略)最後は三人とも、なにがなんだか分かんない。藩からの御沙汰があって、二人が切腹になったときは、もう、ほっとした。ああ、これで父も、誠二郎さんも休めるんだって。もう、なんにもしなくてもいいんだって」
私は無言で、信江を抱き締めた。心底で、済まない、済まないと、幾重にも詫びながら、ずっと、そうしていた。
(同)
国元に帰るとすぐに、剣の道探求とは比べものにならない複雑な現実が隆明に襲いかかってきます。隆明には菊池誠二郎という友がおり、遠縁の市川様に信江という美しい娘がおりました。隆明は信江にほのかな恋心を抱いていましたが、誠二郎もまた信江に惹かれていたのです。信江はもう二十歳でしたから、隆明は自分の武者修行中に誠二郎と信江が結ばれるだろうと考えました。帰ってみるとその通りになっていましたが、なんと市川様と婿の誠二郎が、不祥事を起こして藩から切腹を命じられていたのです。しかしその経緯を誰も語りたがりません。
隆明は渋る佐吉叔父を説得して事情を聞き出します。江戸後期から各藩は殖産産業の育成に乗り出して、家臣から建白書(事業プラン)を募っていました。金の時代になっていたのです。そして隆明の藩では市川様の建白が採用され、婿の誠二郎が右腕になって事業が始まりました。当時大きな利益になるとされていた紅花の栽培です。ただ紅花の価格は相場制で、それを牛耳る商人がいました。武家の商売がうまくゆくはずもなく大きな損を出し、百姓からも愛想づかしされ、あげくに市川親子は切腹を命じられてしまったのです。
隆明が知る誠二郎はとても聡明な青年でした。佐吉叔父の話に納得が行かない隆明は、生き残った信江に話を聞きに行きます。そして信江からまったく違う話を聞かされます。信江によると、藩の事業には力を入れたものとそうでないものがある。父親の事業は手抜きの方で、誰も成功するとは思っていなかった。予算は少なく優秀な人材も付けてもらえなかった。それを最初から予想していた父は、文武に優れた隆明を事業に参画させてくれるよう、隆明の父親に頼みに行ったのでした。父は親戚筋の市川様の頼みを無下には断りにくい。そこで隆明を武者修行に出したのだと言うのです。隆明は、あなたは父と誠二郎を見捨てたのだと信江に責められます。
ここまで来ると第一部の武士道の話は吹き飛んでしまいますね。武士の本義である剣の上達が日々の役所仕事で物言うとしても、それは同輩たちの間の話です。武士の中でも城主、家老、上士、下士といった身分差は歴然としてあります。理不尽でも上司からの命は絶対です。成果が出なければ、切腹は極端としても降格が待っています。実際、隆明の父親は息子に及びそうな、個人では如何ともしがたい政治の力を感知して、剣の道を究めるという建前を説いて隆明をそこから逃がしてやったのでした。
物語はさらに複雑になります。信江は隆明を武者修行に出したのは彼の父親だが、全体の絵を描いたのは佐吉叔父だと言います。隆明は面と向かってそれを叔父に問い質します。しかし叔父は動じません。「それは、そうではあるが、そうではないのだ」と前置きして、「御城には、派閥というものがある。で、当時、いくつかの派閥が妙な動きをしていた。若手の有望株の刈り込みみたいな真似もしていたのだ。そんなくだらん動きに、片倉家一統を支えることになるかもしれんおまえを毀損されたら堪らない。で、おまえを仕舞って、そやつらの動きの外に置いたわけだ」と言い、信江には気をつけよと忠告します。彼女は色仕掛けで隆明をたらし込み、破滅させて父と夫の仇を討つつもりかもしれない・・・。信江は男たちが形作る社会制度を破壊する、女性性の象徴として存在しているわけです。
この物語がどういう結末になるのかは、実際にお作品をお読みいただければと存じます。ただ青山先生が、江戸時代の武士の規範である武士道をもってしても、如何ともしがたい現実の歪みを描こうとしているのは確かだと思います。理想は必要ですが、それは現実の前には無力です。ただ現実を秩序あるものにするためには、やはりなんらかの理想が必要です。その難しさの前に「遠縁の女」という作品は前半と後半で割れてしまったわけですが、これは誠実な分裂だとアテクシは思いますわ。
佐藤知恵子
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