そーいえばアテクシ、俳優の風間トオルさんを心から尊敬しておりますの。秘かに風間先生とお呼びしているくらいだわ。風間先生は五十代になってもカッコよくて素敵です。ただすんごく申し訳ないですけど、俳優さんとしてお慕い申し上げているわけではないの。そりゃ科捜研の女シリーズで、白衣の風間先生はたまらなくダンディよ。だけどアテクシが魅力を感じているのは彼自身のキャラクターなの。貧乏な生い立ちによって形作られた、ほかの誰も持っていないような強さと潔癖さよ。
番組名は忘れちゃったけど、明石家さんま師匠がホストのコンプレックス自慢番組があったのね。変な声コンプレックスとかデブコンプレックスとかの組に分かれて、自分のコンプレックスを面白おかしく自慢するわけ。その一つに貧乏コンプレックス組があって、風間先生が出ておられたの。風間先生、最初の頃は自分の貧乏話が他人にとって面白いとは思っておられない様子で、「家にお風呂がないんで、小学生の頃、真冬でも服着たまま洗濯機の中に入って、壁に両手両脚突っ張って服ごと洗ってたんだけど、こんな話面白いのかなー」といった感じでした。面白いを通り超して驚きよね。
真冬に風邪気味になると、暖かい昼間、お金持ちの家の外壁に身体をつけて寝ていると治る、という話は秀逸でしたわ。風間先生によると、お金持ちの家の外壁は高価な大理石を使っていることが多いそうで、岩盤浴効果があるらしいの。その逆に、夏は貧乏な家の壁に身体をつけていると涼しいそうです。トタンとか安普請の家が多いから、身体と壁の間に隙間が出来て涼しいそうなの。これは実際に体験した人じゃないと知り得ないプチ情報よね。
でもアテクシがホントに風間先生はスゴイと思ったのは、そんなプチ情報じゃないの。番組では風間先生以外にも子供の頃貧乏だった芸能人がたくさん出演しておられましたが、彼らの語る貧乏話って、突き詰めれば豊かさへの憧れよね。資本主義社会の底辺に生まれてしまった子たちが物心ついて自我意識に目覚め、資本主義的享楽から取り残された生活に落胆し、豊かな生活に憧れるってことです。俗な言い方をすると、もっとおいしい物を食べたい、キレイでオシャレな服を着たいetc.っていうこと。だけど風間先生は違うのよ。
アテクシ、風間先生の御著書『ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力』も読ませていただいたの。その中に、確かテレビ番組でアフリカロケをした時に、風間先生が乗ったプロペラ機が墜落したというお話がありましたわ。飛行機は不時着して大惨事にはならなかったそうですけど、番組関係者の中で風間先生だけ無傷だったそうよ。
飛行機が墜落し始めたパニック状態の中で、風間先生は座席に座ったまま、「あー、羽が折れて飛んでったなー。プロペラも取れちゃったなー。墜ちたらどっから逃げようかなー」って考えていらしたそうなの。これはホントに驚きよね。こんな冷静さは、生死の境を見た人しか持っていないと思いますわ。
風間先生の御著書を読んでもそんなことは書かれていませんが、先生は子供の頃に、何度も生死の境を見たお方なのよ。だから先生は資本主義的欲望とは無縁なの。豊かな生活に憧れることができるっていうのは、まだ余裕があるってことよね。先生はそんなレベルを通り超して、文字通り食べなきゃ死ぬ、気持ちを緩めたら終わりだっていう生活をしていらしたってことだわ。こういった肝の据わり方をしている方って、激戦地から帰還した兵隊さんくらいしかいないわよ。
一九六二年生まれで高度経済成長期の子供だった風間先生が、そういう心性を持っておられるのはホントに驚きで尊敬すべきことだわ。ファッション誌のモデルをしていた風間先生を俳優業に誘ったのは浅野ゆう子さんだそうですが、最初の演技はホントにヒドくて、オンエアを見て浅野さんは思わずダイニングテーブルの角をつかみ、プロデューサーの方は柱にしがみついたそうよ。普通ならそれで終わりのはずが、風間先生を俳優として使う人が絶えなかったのは、恐らく彼のキャラクターよね。普通のお方ではないですわ。
「畏れながら、大殿様、わたしを置いてくださいませ」
「――田舎の小娘風情が大名相手に己が身を売り込むとは」
「はい」お幸は真っ黒な瞳を宗衍に向けた。「わたしは、生きたいのです」
「ほう?」
続けい、と水を向けると、お幸は続けた。
「わたしのお父とお母は、ひもじさの中で死んでいきました。弟もおりましたが、真っ先に弱っていきました。最後は骨と皮のような有様でしたよ。わたしはそれをただ眺めていることしかできませなんだ。あのような地獄を見たあとでは、華のお江戸は極楽にございます」
「ほう、面白いことを言うな。極楽、とな?」
「はい、わたしは、この花お江戸で生きとうございます」(中略)
その頃には、宗衍も気づいていた。この女の放つ浮世離れした雰囲気の正体に。
(谷津矢車「雲州下屋敷の幽霊」)
谷津矢車先生の「雲州下屋敷の幽霊」は、出雲松江藩第六代藩主・松平宗衍とその侍女・お幸が主人公です。松平宗衍といっても知らない方が多いと思いますが、茶道具の大蒐集家だった不昧公(治郷)のお父様と言えば、「ああ」とお思いになる方もいらっしゃるかもね。
宗衍は松江藩の財政立て直しに尽力しますが飢饉などの不運も重なって、志を遂げることができませんでした。そうこうしているうちに、強引な施政を嫌った重臣らによって隠居させられてしまいます。クーデターのような政変があったようですわ。家督を継いだ不昧が一時は財政を立て直し、尋常ではない茶道具の蒐集を行ったことは周知の通りです。
隠居後の宗衍は江戸松江藩下屋敷で定府住まいを始めますが、巷間に伝わった噂話によると奇行が絶えなかったらしい。男女とも裸にさせて茶会を開いたり、幽霊画を蒐集した部屋があったり、寵愛の美女の背中に奇怪な刺青を入れさせてそれを楽しんだといった話が伝わっています。「雲州下屋敷の幽霊」はそんな宗衍巷間奇譚に取材した作品でございます。
出入りの何でも屋の商人が、東北飢饉で村で唯一生き残ったお幸という少女を連れてきます。大変な美人です。すでに性欲の失せた宗衍は一度は「いらぬ」と断るのですが、お幸の「わたしは、この花お江戸で生きとうございます」という言葉を聞いて買い上げることにしたのでした。
「何を恐れておられるのですか」
どこかから飛んできた矢に体を貫かれたような痛みが走った。
「わしが、恐れておるだと」
「はい、恐れておいでのように見えまする」
「そんなわけなかろうが。・・・痛いらしいぞ、刺青というのは」
お幸は答えた。
「とうの昔に、慣れてしまいました」
「――それは残念。もし怖気づいたのなら許してやろうと思い定めていたのだが気が変わった。途轍もない痛みにのたうち回るがよい」
宗衍は目の前の女が絶望する顔を観たかった。が、目の前の女は、凍ったままの顔で、ただただ宗衍を見返しているだけだった。
(同)
お幸は生死の境を見てしまった女です。商人に売られ、飛びきりの美人だったので松平宗衍のような大名に商品として引き合わされたわけです。宗衍が断れば、遊郭などに売られることはわかりきっています。しかしお幸は自分の方から「大殿様、わたしを置いてくださいませ」と頼みます。宗衍に何か感じるものがあったということです。
小説では宗衍の奇行は現世への執着として描かれています。自分が為すべき仕事を息子の不昧に奪われ、鬱々とした日々を送っています。政治家としてだけでなく、蒐集家としても息子が自分を上回ってしまったのです。不能の宗衍が裸の男女の茶会を催すのは性的嗜好を満たすためではなく、服を着て体裁ばかり整えたがる世間へのささやかな抵抗です。幽霊画を蒐集するのも鬼面人を威すの類い。宗衍がお幸に興味を持ったのは彼女の絶望が自分より深いから、あるいはその絶望が現世的地平を越えているからにほかなりません。
宗衍はお幸の背中に幽霊画の刺青を入れさせます。背中いっぱいに刺青を入れるのは大変な苦痛を伴いますが、もちろんお幸は動じません。それどころか「何を恐れておられるのですか」と冷たく言い放ちます。現世の妄執の側に立って奇行を繰り返す宗衍と、そんな苦しみから宗衍を救い出すこともでき、また生きたまま現世を超脱した地平から宗衍を笑っているとも言えるお幸は、いずれかの時点で衝突しなければなりません。
「こっちに来てくれ」宗衍の声は震えていた。「あまりに寒いのだ。なあ、こちらへ来てくれ」
「厭にございます。――お先に身罷りまする。雲州下屋敷の幽霊様」
にこりと微笑んだお幸は、両手で包んでいた宗衍の手に力を籠め、突き放した。その拍子に深々と突き刺さっていた短刀が抜け、お幸の胸からおびただしい血が飛び出した。しばらく正座したまま微笑んでいたお幸だったが、やがて血色を失ってうつ伏せに倒れた。
(同)
結核で死の床にいた宗衍は、枕辺にお幸を呼んでいきなり短刀で刺し殺します。この大団円は大衆小説としてはもちろんアリです。ただ生死を超越した生者であり死者だとも言えるお幸と、現世の妄執にまみれた宗衍は、最後まで密接に交わることができませんでしたわね。僭越ですがこのあたりの詰めが、優れた大衆小説家としてご活躍できるのか、読み捨て大衆小説作家となるのかの違いかもしれませんわ。
佐藤知恵子
■ 谷津矢車さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■