小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.035 旧式ダイヤル、ナンバーは369』をアップしましたぁ。ん~小松さん、ちょっとお疲れ気味かもしれません。今年の夏は暑いですからねぇ。
何もかもは途中の出来事に過ぎないんじゃないか。
そう思えてきたのはごく最近のことだ。
ほんとうに、何もかも、だ。
チェコ出身の作家、ミハル・アイヴァスによればコートのなかで数ヶ月にわたって時間を過ごす兵士たちは、もはや人ではなくコートそのものになってしまう、思考方法もコートと一体化してしまうということだった。
兵士たちにとって自分たちはいつからコートになったのかなんていうきっちりとした「はじまり」は存在しない。途中から彼らはいつの間にかコートになり、考えることといえばどこそこの街に吹く風の種類についてのことばかりになってしまうのかもしれない。
ほんとうにそうなのだろうか。
果たしてほんとうにそうなのだろうか。
(小松剛生『旧式ダイヤル、ナンバーは369』)
昨日も書きましたが、こういった小説の書き方は戦後文学にはなかった。おおむね村上春樹さん以降です。ただ『僕は古ぼけたコートの襟に顔をうずめた。雪は音もなく降っていて、アスファルトに積もった雪は人と車に踏まれて汚れていた。僕は自分がコートそのものになってしまった・・・』といった書き方よりリアリティを持って迫ってくるところがあります。
文学の世界ではいつだって作品が先行します。批評の力が弱まったのは、現代文学がどこに向かおうとうとしているのか、読み切れないからです。また作家は現代を文体的アトモスフィアとしてではなく、主題や明確な文体としても捉えられなければ、時代を代表する作家ににはなれないでしょうね。
■ 小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.035 旧式ダイヤル、ナンバーは369』 縦書版 ■
■ 小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.035 旧式ダイヤル、ナンバーは369』 横書版 ■
■ 第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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