長岡しおりさんの文芸誌時評『No.029 円城塔訳 アーネスト・フェノロサ&エズラ・パウンド著『スマ・ゲンジ ほか二篇』(幽 vol.27)』をアップしましたぁ。フェノロサ遺稿をパウンドが整理した『詩の媒体としての漢字考』の中から、円城塔さんが須磨源氏の部分を翻訳しておられます。長岡さんは『そうか源氏物語にも霊とかって出てくるもんな、するってえと源氏物語ってのは怪談だったんか』と書いておられますが、幽(霊)について面白い考察をなさっています。
幽の「幽」は幽霊の「幽」であると同時に、幽玄の「幽」でもある。そして上田敏が象徴主義を「幽玄」と論じた「幽」である。洋の東西でそれぞれ彼岸を見ようとしたとき、現世に現れてかろうじて捉えられるものの様子が「幽」だ。
長岡しおり
こういった批評は刺激的ですね。辞書的解釈はさておき、〝幽〟にはいわく言いがたいもの、捉えがたいものといったニュアンスがあります。パウンドは能などの日本文化にそれを見出し、上田敏は象徴主義(サンボリズム)にそれを見出したわけです。『洋の東西でそれぞれ彼岸を見ようとした』(長岡しおり)ことになります。
もちろん時代が下れば下るほど、文化的誤解は大きくなります。しかしそれは人間の精神活動にとって必要不可欠なものだったなぁ。現代の情報化社会では謎が、〝幽〟がどんどんなくなっています。生半可な知識を披露すると、すぐに『それは違う』と突っ込みが入ってしまう。でも文学などの創作は、やはり謎を求める表現でなければならないでしょうね。怪談専門誌幽は本質をついているかもしれません。
■ 長岡しおり 専門文芸誌時評『No.029 円城塔訳 アーネスト・フェノロサ&エズラ・パウンド著『スマ・ゲンジ ほか二篇』(幽 vol.27)』 ■
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