小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.032 熊が死ぬ前に』をアップしましたぁ。小松さんは前書きで『今からはじまる文章は何年か前、下北沢の小さなバーで友人主催の音楽演奏会が開かれることになって、その際に来てくれたお客さんに配るしおりに、何かちょっとした紹介分を書いてくれと頼まれて書いたものだ』と書いておられます。恐らく実話でしょうね。若い作家の場合は特に、フィクショナルに読めてもなんらかの実体験が下地になっていることが多いです。
石川は編集後記であえて文学幻想をぶち壊してしまふようなことをたくさん書いていますが、まーそのほとんどが事実と思っていただいていいです(爆)。今の文学業界が、小説も含めて実に厳しいのも事実です。30歳くらいまでなら、今はビジュアル時代でもありますから、ルックスなども総動員してスターになることは夢ぢゃない。でも力がなければ続かない。40歳を超えたら、これはもう本当に文学者としての力がなければ頭角を現すことはできません。だから世に出たい、夢をかなえたいと思っている文学者はその方法を現実に即したものにアジャストしていかなければなりません。
単純化すれば文学者の夢は、最高レベルがベストセラー作家になって先生と崇め奉られること(①)、最低レベルでもとにかく書いて本が出て食べられること(②)、にあると思います(爆)。現実は①と②の中間すら危うく、プロ作家でも②以下をウロウロすることが多くなっています。大志を抱くのはいいことですが、まず②のレベルに届くのが先決です。それだってかなり厳しい。ただ②を視野に入れれば、地に足をつけることが可能になります。
そのためには自分の持ち札と読者ニーズを付き合わせて考えることが必要です。読者におもねらずに、読者訴求力の高い作品を構想する訓練を積むわけです。それはけっこう楽しい作業のはずです。小松さんは吉田篤弘さんの『この世でいっとう悲しいのは語られることのない物語と、奏でられることのなかった音楽たちだ』という言葉を引用しておられますが、作品が読まれることが作家にとっての一番の喜びだからです。
どんなに難しげな作品だろうと、作家の愉楽が伝わって来ない作品ってつまんないですよね。たとえば一昔前の前衛の代名詞だったカフカだって、すんごく楽しんで、彼なりの冗談を飛ばしながら書いています。読まれない、売れないと自虐的に鬱屈しちゃダメです。人は他者の悪意や不満だらけの表現を心底嫌う。喜びや楽しさの表現もまた一筋縄ではいかない複雑なものですが、あらゆる表現にはFUNの要素が求められています。
■ 小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.032 熊が死ぬ前に』 縦書版 ■
■ 小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.032 熊が死ぬ前に』 横書版 ■
■ 第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第0回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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