小原眞紀子さんの連作詩篇『『ここから月まで』 第15回 渡/泡/縞』をアップしましたぁ。小原さんのCool抒情詩第15弾です。冒頭の詩篇『渡』はかぐや姫伝説を題材にしています。かぐや姫伝説の本歌取り自由詩ですね。
そこからきたという姫は
竹の節に似た小部屋で
いまも僕を待っている
鍵をあけて連れだしても
どうせ月へ帰るだろう(中略)
そうして君は
隣りの棟のカーテンの陰に
小声で歌ったり
猫をかまったり
かつての姫君が往き来した
夢の浮橋を
けっして渡ってこないのなら
僕もこの廊下の隅に
立ったまま向うをみている
(小原眞紀子 『渡』)
小原さんはわかりやすくて文学的価値のある詩を書いておられますが、そういう姿勢は大事だと思います。今後ますます重要になってくるでしょうね。まず読者に読んでもらえること、読もうという気を起こさせる必要があるのです。人間にとって文学が大きな楽しみだった時代は、とっくの昔に過ぎ去っています。
Webメディアはまだ未成熟な面があり、それに対するいろんな批判が石川の耳にも聞こえてきます。その中の一つに、『タダ(無料)だから読まれるんだよ』というものがあります。だけどホントにそーかな。社会的に権威あると見なされている雑誌に掲載されている作品でも、読まれないものは読まれない。それは紙メディアに掲載しても、Webメディアに掲載しても同じでしょうね。むしろWebメディアの方が、読ませる作品かどうかはっきりする面もあります。セクショナリズム的なさや当てはいつだってムダです。
紙でもWebでもその他の世界でも同じですが、人間は自分が所属する世界を世界全体だと考えがちな傾向があります。有吉弘行さんが『ツイッターはバカ発見器』という名言(?)を吐いたことがありますが、補足するとツイートを批判しているわけではなく、半径5メートルくらいの世界観で、原則世界中から閲覧できるWebで独りよがりな考えを書いてしまう危険性を指摘しているのだと思います。
そういう意味で、本質的に安全保障的な〝仲間〟に守られていないネット・メディアは創作者にとって怖い場所でもあります。作家が読者を獲得してゆく方法はいろいろありますが、目の前の編集者を説得するのではなく、〝読者に読まれる・読ませる〟ことを考えざるを得ないWebメディアは、作家が自己の作品を鍛える場として活用できるでしょうね。
■ 小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』 第15回 渡/泡/縞』 縦書版 ■
■ 小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』 第15回 渡/泡/縞』 横書版 ■
■ 第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第0回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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