連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第13回)をアップしましたぁ。『漱石論』は『日本近代文学の言語像』三部作の中の一冊で、『正岡子規論』、『森鷗外論』といっしょに今春金魚屋から三冊同時刊行されます。今回からいよいよ本編の『Ⅲ 英文学研究と文学のヴィジョン-『文学論』『文学評論』』です。小説家デビューする前の漱石の主要著作である英文学研究についてです。
後年の爆発的創作から言って、創作活動を棚上げした漱石は大きなフラストレーションを抱えていたはずである。しかし漱石は一方で大変見通しのよい作家でもあった。ヨーロッパ文学の部分的移入ではなくその本質理解に取り組む方が、遠回りのようで近道だという判断がそうである。作家としては親友の正岡子規はもちろん、同い年の幸田露伴や尾崎紅葉にも遅れを取っているという焦りはあったろう。だが漱石は、どこかで同時代の文学状況を過渡期だと認識していた節がある。明治二、三十年代は混乱期であり、文学界全体の動向としても、自らの理論的探究においても、それが落ち着くまで創作は後回しにしてもよいということである。
(鶴山裕司『夏目漱石論-現代文学の創出』)
鶴山さんの漱石論は、ほぼ完璧な漱石文学完全読解になっています。それが可能なのは小説だけではなく俳句や詩に関する知識をお持ちだからでしょうね。日本の小説批評は基本的に、作家が何を言った、何を考えたという意味読解から為されてきました。しかし漱石のように詩について深い理解を持ち、実際に創作で詩を活用した作家を、小説的意味文脈からだけで読み解くことはできません。
また鶴山さんの漱石論は構造主義からポスト・モダン思想を的確に援用して為されています。日本の小説批評は概して浮薄です。付け焼き刃のポスト・モダン思想を援用し、小説批評をダシにした批評家自身の言葉ばかりが目立つ一種の〝批評の創作化〟になってるんだな。だけどそれは批評でもなければ創作でもない。批評家の単なるエゴ表現です。
批評を行うなら行うで創作を行うなら行うで、妙な小細工をしないで正面中央突破で単純かつ明快に行わなければなりません。新しもの好きはけっこうですが、構造主義を通過しないポスト・モダンはあり得ない。またポスト・モダン思想はすでにもう現代社会の変動から遅れ始めている。そのため批評家は生半可な知識で政治経済を論じるようになっていますが、それもムダ。漱石を論じるなら論じるで、有無をいわせぬ形で批評し切る必要があります。
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