小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.028 府中のヴォネガットへ/キツネをつかまえないで/真夜中にたったひとつしかない靴に』をアップしましたぁ。今回は孤独シリーズとでも言うべき3篇です。人間、孤独であります。ひとりぼっちでいれば孤独なのは当たり前ですが、仲間や恋人といても孤独なのであります。
弟が足場のパイプを右手でぎゅっと握りしめました。
「何してるんですか」
「つなぎになってるんすよ」と弟は答えました。
「俺ね、将来はこうやって、つなぎ屋になろうかなと思ってるんすよ。足場をバラす日まで、こうやって足場をつなぎ続けるんです」
「いいですねえ」
「いいでしょ」
つなぎ屋になるのが俺の夢なんすよ、と彼はもう1度言って足場をつなぎ止める右手に力を込めるかのように、肩を揺らせてみせました。
府中のヴォネガット。
彼らと会わなくなってもう何年も経ってしまいました。
(小松剛生『府中のヴォネガットへ』)
小松さんは第01回金魚屋新人賞受賞作家であり、間もなく金魚屋から単行本デビューすることになると思いますが、新たな才能を持った作家の一人です。石川は主要小説文芸誌を毎号ダーッと目を通していますが、それでもそう思います。今後も小松さん的な現代性が通用するかどうかはわかりませんが、2017年現在では少なくとも新しい。距離感の現代性とでも言えるかもしれません。
現代性というのは、ある側面では人間と現実との距離のあり方だと言える面があります。戦後の混乱期から復興期、高度成長期において、人間と現実との距離は近かった。肉体が現実に密接に結びついていた時代です。しかし現代はそうではない。人間と現実との間に距離がある。何かでつながなければならない。『つなぎ屋になるのが俺の夢なんすよ』ってことです。
この現代性は、30代くらいまでの若い作家は感覚として持っていると思います。それ以上の年齢の作家が持てないかというと、考えれば獲得できる。肉体的な現実把握の上に、ヴァーチャル的な現実把握手法を付け加えればいいのです。戦後文学的な『俺は昨日○○して』といった素朴リアリズム的現実把握が、少なくとも芸術の世界では嘘くさく見えてしまう時代です。現実の捉え方を変えなければなりません。
文学金魚は新人賞を設けていますが、作家が自分の仕事を社会に受け入れてもらえるかどうかは、基本的に作家の努力次第です。若い作家はその感性を活かすことができますし、キャリアのある作家なら、それまで積み重ねてきた知力をフル活用しなければなりません。どっちも苦しいのは同じです。結果を出せば、『若いって得だね』『年の功の知力があるんだもの』とか言われたりするのは目に見えています(爆)。自分の力を客観的かつ正確に把握して仕事をすれば、作家の年齢で損得が生じることはありません。
■ 第04回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第04回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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