佐藤知恵子さんの文芸誌時評『大衆文芸誌』『No.105 オール讀物 2016年07月号』をアップしましたぁ。あさのあつこさんの『フラワーヘブン』を取り上げて、大衆文学のパターンについて批評しておられます。あさのあつこさんは『バッテリー』で有名ですね。少年野球小説の傑作です。6巻ありますが、石川は面白くて一日で読み終えた覚えがあります。
短篇ということもありかなり書き急いだ印象がありますが、樹が優柔不断な涙もろい性格から、内に秘めた強さを鍛え上げてゆくための十分な枚数があれば、あさの先生らしい長篇小説に仕上がりますわね。つまり「フラワーヘブン」には、あさの先生の小説作法の骨組みが表現されていますの。(中略)
「フラワーヘブン」はその名の通り、樹にとっては〝天国〟です。つまり彼は実在しない至高の何かを「フラワーヘブン」に見ている。それがトップレスバーであることに、彼の複雑で、純でもある精神が投影されています。(中略)こういったストラクチャーはパターンですけど、パターンに沿い、やがてそれを壊し始めるところに、大衆小説作家様の面白さがあるのよ。
(佐藤知恵子)
小説に限りませんが、何かを高いクオリティで量産する場合にはパターンが必要になります。大衆作家さんはそんなパターンをお持ちです。そのパターンはかなりの程度まで、技巧として学習することができます。じゃあ純文学にパターンがないのかと言えば、ありますね。しかし純文学作家は〝型にはめて落としちゃいけない〟と教育されているところがあるのでパターンの力が弱く見える。多少なりとも前衛性を意識せざるを得ないという棲み分けが文学界にはあるわけです。
大衆文学・純文学を問わず、パターンは作家の思想から生み出されているのが理想です。技巧重視でパターンを捉えると、作品がマンネリ化してしまう。ただ純文学作家の場合、社会の変化などで思想を見失ってしまうと、技巧を含むパターンすべてが崩れてしまうといふ悲惨も起こる。2000年紀に戦後系の文学者を襲った大崩壊はそういった質のものだろうなぁ。もちろん純文学系作家に時代の先端を行く前衛的で特権的文学者という矜持があるなら、思想を見失った時点で書くのを止めればいいわけです。
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評 『No.105 オール讀物 2016年07月号』 ■
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