連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第10回)をアップしましたぁ。『漱石論』は『日本近代文学の言語像』三部作の中の一冊で、『正岡子規論』、『森鷗外論』といっしょに今春金魚屋から三冊同時刊行されます。今回は『修善寺の大患 ―― 自我意識との格闘(前半)』です。
よく知られているように、漱石は明治四十三年(一九一〇年)に伊豆の修善寺で大吐血して生死の境をさまよいました。漱石文学はこの〝修善寺の大患〟を境にして明らかに変化します。わたしたちの記憶に強く残る〝自我意識文学〟になるわけです。危篤状態を経験した漱石が、もう時間がないという意識をもって、彼にとって最も切実なテーマに向かい合い始めたのだと言っていいでしょうね。。
それにしても漱石は胃潰瘍、子規は結核、鷗外は腎不全で亡くなったわけですが、今なら治る病気なのになぁといふ気がしてしまいます。漱石は49歳といふ若さで亡くなったわけで、実働期間は驚くべきことに12年です。まあビートルズも実働約10年ですから、全盛期に入った作家の実働期間は10年くらいなのかもしれません。
鶴山さんも書いておられましたが、石川も現在の世の中は過渡期だと思います。漱石は『野分』で明治初年代から三十年代に名を成した文学者は、偶然とラッキーに恵まれただけであり、文学史から消え去るだろうと書いています。現代も危ういですね。一九八〇年代から二〇〇〇年にかけて評価された文学者のうち、何人後世まで読まれるかなぁといふ状態です。いや生きている間にその作家としての地位を保てるんだろうか。
もっと深刻なのは、一九八〇年代頃まで第一線で活躍し、今も書いておられる作家の作品が、とっても言いにくいですがまるで前世紀の遺物のように感じられてしまふことです。明らかに二〇〇〇年紀の前後で断絶が起こっています。それに目をつぶって新しい文学は生み出せないだろうなぁ。ベテラン作家も若手作家も等しく厳しい時代を生きています。
■ 連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第10回) 縦書版 ■
■ 連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第10回) 横書版 ■
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