高嶋秋穂さんの詩誌時評『歌誌』『No.028 角川短歌 2016年05月号』をアップしましたぁ。高嶋さんは文学における前衛につて書いておられます。
作家がある文学ジャンルに魅了されるのはそのジャンルに無限の表現可能性を感じたからだと言えます。若い作家がベテランたちが思いつかない作品を作ることができる理由もここにあります。ただある程度年齢を重ね作品でキャリアを積み重ねてゆけば相当に工夫を凝らさない限り一つのジャンルですべてを表現できないことに気づかなければなりません。
この場合の選択肢は二つです。一つはもちろん他ジャンルの表現を試みてみることです。もう一つは若い頃とは質の違う前衛的冒険をすることです。若さゆえの表現は〝天才〟と賞賛されることもありますがそれはたまたまという意味でもあります。年を取ってからの冒険が成功すればいわゆる〝大家〟と呼ばれるでしょうね。
(高嶋秋穂)
成熟した作家にとってはムチャな試みに見えても、型紙破りな表現は文学には絶対に必要です。ただその場合でも、表現に強い圧がかかっていなければ、たいていの場合成功しません。ムチャクチャでひっでぇなと思っても、圧が高ければ見所がある。しかしどんな場合でも永久革命はありませんから、落とし所を予測しておかないと大変なことになります。思いつきで始めた前衛があだ花で終わってしまう由縁です。
坂下の雨をここまでもちあげてきた傘はもうのこしていかう
なにもなあふなむしの食べるものなんかに数へなくてもよからうに
あけてしまつた穴は目にするとしてそのうへ口などとんでもない
さうかこの軍服がみえてゐないか王さまはうれしくなりました
あしひきの山鳥が踏んだのはまつぼつくりではなかつたのでした
ひとつひとつがすこしととのへあふだけの位置どりで鴉が降りる
沈んだところのふたつてまへまではみづ切り石もその気だつた
床に弾んだふうせんかづらの種のことでもうあたまはいつぱい
なにも慌ててしんがりにつかなくてもわかつてゐるこのさきも雨
用のすんだものからゐなくなつて大きさでいへば雀の時間
平井弘『キスケ』連作より
平井さんは昭和十一年(一九三六年)生まれのベテラン歌人ですが、断続的に実にスリリングな短歌の試みを行っておられます。若いから前衛というのは性急すぎます。若者であろうとベテランであろうと、短歌という芸術に真剣に取り組む限り、新たな表現は生まれてくるのです。
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.028 角川短歌 2016年05月号』 ■
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