みなさまお久しぶり~。管理人の石川さんから「佐藤さん、おみかぎり、おゲンコ、どうなってますか?」というメールをいただいてしまったのは、全部ギリシャが悪いのよっ!。そうなの、あのいい加減な国が起こした経済危機が、アテクシのお仕事にも及んでしまったよっ。あの国に旅行されたかたはおわかりでしょうが、とっても人のいい国民性ですけど超アバウトなお国柄よ。アテネなんか、通行人の半分くらいがもぐりの観光ガイドじゃないかしら。ギリシャに行くとすぐに小銭がなくなるのよ。ギリシャ人は小銭儲けの達人だと思うわ。でもあそこまで国家ぐるみでいい加減とは、まーっ!という感じでございます。で、気を取り直して『オール讀物』時評、行きますわよ。
4月号は直木賞発表特集で、葉室麟先生の受賞作『蜩(ひぐらし)ノ記』の抄録と受賞第一作『汐の恋文』、それに先生のロングインタビューが掲載されています。センセ、おめでとうございます。アテクシも先生のご受賞、うれしゅうございます。『蜩ノ記』は端正な文体でしたためられた歴史ミステリー小説でございます。インタビューで「歴史の敗者であっても、人間としては負けていない」と先生がおっしゃっているように、封建社会の枠組みを崩さずに、その中での人間の生き方の理想を表現された作品でございます。
「正当な年貢などというものはない。百姓にしてみれば年貢などない方がよいのだ。だが、武士は年貢がなければ食ってはいけぬ。おたがい生きるために食扶持(くいぶち)を取り合うのであるからして、いがみ合うのも無理はない」
庄三郎は目を瞠(みは)った。
「されど、それが世の仕組みというものではございませぬか」
「だが、先の世では仕組みも変わるかもしれぬ。だからこそ、かように昔の事績を記しておかねばならぬ。何が正しくて何が間違っているおったかを、後世の目で確かめるためにな」
秋谷は筆を休めず、淡々と語った。
秋谷は主君の側室と密通し、それに気づいた小姓を切り捨てました。本来ならお家断絶の上切腹ですが、家譜(藩の歴史をまとめた本)を編集中だったので、その未完を惜しんだ藩主の温情で、家譜が完成する10年後に切腹するよう命ぜられました。庄三郎は家老から、秋谷の切腹を見届け、かつ家譜の内容が穏当なものかどうかチェックする命を受けて派遣された武士です。
当然のことですが秋谷の密通事件には秘密があり、主人公の庄三郎はそれに巻き込まれていくわけです。後は本を読んでいただくとして、葉室先生の作品主題は「先の世では仕組みも変わるかもしれぬ。だからこそ、かように昔の事績を記しておかねばならぬ。何が正しくて何が間違っているおったかを、後世の目で確かめるためにな」という文章にはっきりあらわれています。
不正や矛盾に気づいたとしても、粛々とそれに従おうとする秋谷の姿は現代のサラリーマンにも通じます。またそのような立場に置かれても、心ある者はできる限りの範囲で社会的良心や倫理を貫こうとするわけです。現代はもちろん江戸時代はなおさらのこと、そのような「良心の人」は稀ですから、先生の『蜩の記』は一種の理想小説でございます。自らの肉体と精神の枠組みそのものとして権力や制度を捉え、それに従いながらも、個人としては、どうしても少しだけそれを逸脱してしまう。その繊細な心の襞を描くのが、藤沢周平先生以降の男性作家がお書きになる時代小説の王道だと申してよろしいかと思います。
一方で時代小説の世界では多くの女性作家もご活躍中です。今号では畠中恵先生の『たからづくし』が心に残りました。アテクシのような純粋読者がこんなこと申し上げるのはおこがましいですが、畠中センセ、うまくおなりになりましたわぁ。以前はかわいらしいお雛様とお内裏様がちょこまか動いているようなお作品でしたが、愛らしさは残したまま、一本筋が通った作品をお書きになるようになったような気がします。
『たからづくし』は畠中先生ファンにはおなじみの『まんまこと』シリーズで、江戸町名主の麻之助(あさのすけ)が活躍する時代小説です。今回麻之助は、縁談を押しつけられて失踪してしまった親友の清十郎(せいじゅうろう)の行方探しと、強盗事件、それに悪友の貞(さだ)が巻き込まれた賭け事の3つの厄介ごとを背負い込みます。
テキ屋の貞は、今まで女には見向きもしなかった高利貸しの丸三(まるさん)から、定期的に寺参りに行く武家の美女に岡惚れしたので声をかけてほしいと頼まれます。今でいうナンパの達人の貞は二つ返事で引き受けますが、美女は振り向いてくれない。このままではメンツ丸つぶれなので、なんとかならないかと麻之助に相談を持ちかけたのです。
この3つの厄介ごとは、美女の帯の宝尽くし模様が鍵になって解決されてゆくわけですが、美女に岡惚れしたのは高利貸しの丸三ではなく、女には惚れられるものと高をくくっていた色男の清十郎だったことがわかります。清十郎から恋の悩みを打ち明けられた丸三は、柄にもなく男気を見せ、貞に美女に声をかけさせ清十郎に話をさせてやろうとしたのでした。しかし清十郎は美女と話すことができず、その後、縁談攻めにあって家を飛び出してしまったのでした。
「麻之助、私はどうして・・・・・・あの人に会った日、声を掛けなかったんだろう」
あの日であれば、話せたかもしれないのに。清十郎は立ちつくし、足下へ目を向けた。
お由は立ち上がると、皆へ深く頭を下げ、後ほど礼に来ると告げた後、義理の息子を引き連れ帰って行った。茶屋の皆は、しばしその背へ目を向けてから、やがていつもの毎日に戻ってゆく。
ただ、もう十の付く日に、頭巾を被った綺麗な娘が、両国橋を渡ることはない。
麻之助は茶屋の内から橋の方へ目を向けると、結局会うことの無かった佳人の姿を、心に思い浮かべた。
清十郎が惚れた女は貧しい御家人の娘で、その美貌を見初められて御大身の旗本との結婚が決まっていました。しかし娘の方も、町で自分をじっと見つめる清十郎に、ほのかな恋心を抱いていたようなのです。そのため寺参りの回数を増やし、両国橋のたもとの茶屋からじっと自分を見つめる清十郎と、逢瀬ともいえない逢瀬を繰り返していたのでした。
しかし2人の恋が実ることはありません。貞に声をかけられたとき、清十郎がそばにいるのを知りながら娘は言葉を発しませんでしたし、清十郎もまた声をかけられなかったのです。娘は貧乏な御家人の家から旗本に嫁ぐことの意味をよく知っていました。決まってしまった縁談をいまさら断ることなどできません。清十郎も、婚家の決まった、しかも絶世の美女を横取りすることなど不可能だということをよく知っていたのです。2人は自分たちだけではどうすることもできない社会の枠組みに縛られ、かすかに視線を交わらせることだけで終わったのです。
時代小説、というより歴史小説というジャンルを確立されたのは森鷗外先生ですが、先生の小説には過去の時代の残酷なまでの社会的な枠組みと、残酷に試され、押しつぶされ、ほんのわずかに貫かれる人間の倫理や理想が表現されています。葉室先生のお作品は、文体は鷗外先生的な時代小説のそれですが、内容は現代的な人間の心理を描いたものです。畠中先生のお作品の文体は現代的ですが、内容的には鷗外先生の歴史小説の息苦しさに通じるものがあります。だから『オール』では、鷗外先生から始まる歴史小説(時代小説)の2通りの流れが1冊で楽しめるのでございます。ああっ、幸せだわぁ。
佐藤知恵子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■