「『ミステリ』を書きたいあなたへ」という特集である。「新人賞攻略の方法から、ミステリジャンル紹介、執筆のための指南書まで、『ミステリ作家』になるための方法を、徹底的に紹介します! これであなたも作家デビュー!?」
「読みたい」人へではなく、「書きたい」人へ。文芸誌を手に取る人々が純粋な読者ではなく、作家志望の予備軍しかいないような現状らしいので、こういう特集も仕方ないか、とは思う。
だけど、やっぱり割り切れない。純文学業界で、自らの立ち位置を求めてウロウロしている某誌とかなら、まだわかる。純文学自体が読み手と書き手がほぼ重なっているような業界だし、採算性とか市場の盛り上がりとか関係なしに「学問・教育」の一環としてでもやっていかなくてはならない。その自負みたいなものが、「教育ツールとしての文芸誌」というあり方を正当化するということはある。
しかし野性時代である。あの野性時代が、どうしてこういう真似をしなくてはならないか、と正直、悲しくなる。しかもミステリだ。ミステリが好きで、あるテイストを持って読み続けて、批評意識も高く、自分なりにマーケティングもできて、といった書くべき人は放っておいても書き始める。もとより書くべきでない人たちの方が多く、一山いくらでいる。この数を頼みに、そいつらを雑誌の読者に仕立て上げてやろうというスケベ心が見え見えで、あまりに情けない。
もちろんこんな特集でノウハウなんか学んだって、書けたりするはずもない。そんなことは、いやしくも文芸誌の編集部は十分承知のはずだ。嘘とわかっていながら「これであなたも作家デビュー!?」などと打つのは(「!?」を付けてあるという言い訳をしたとしても)、文学に多少でも関わる者として不誠実だ。編集者の頭が高くなって久しいと聞くが、むしろ出版人としての最低の誇りを失いつつあるのではないか。
他誌に比べて、ついつい腹が立ってしまうのは確かに、この過保護っぽい特集タイトルが「野性」と程遠いからだろう。我々としては、あの野性時代はもう、とっくの昔に廃刊になったのだと思うべきなのか。今あるこの野性時代は、誌名はどうかと思うけれども、まあこういう、それなりにインパクトのあることをしようとしている雑誌なのだ、と。
今号では文庫本が一冊、付録に付いている。化粧ポーチやなんかをオマケに付けたファッション誌みたいだが、まあまあ、お買い得と言えないこともない。相沢沙呼「落英インフェリア」、真藤順丈「シド巡査と通り魔」、中山七里「赤い水」、初野 晴「ヴァルプルギスの夜」の四作が入っている。
それらを読んでいて思うのは、これがノウハウになるかどうかは知らないが、キーになっているのは「子供」なんだな、ということだった。か弱く、何をするか計算できず、今の時代の大人たちの感情を唯一、本気で揺さぶるものは「子供」だけかもしれない。そんな「子供」を核としたミステリを、野性時代に書き方を「教育」されたいお子ちゃまたちに書けるかどうかは別として。
池田浩
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■