鶴山裕司さんの文芸評論『No.001 短歌の根はどこにあるのか-福島泰樹短歌絶叫(上)』をアップしましたぁ。今月01日に福島泰樹さんのインタビュー『定型の中で自由であり続けること-短歌絶叫と挽歌』をアップしましたが、インタビュアーである鶴山さんに、福島文学についてのレジュメ的評論を書いていただきました。福島さんは昭和四十四年(一九六九年)刊の歌集『バリケード・一九六六年二月』で歌人としてデビューなさいました。当時の学生運動と深い関わりを持つ歌人です。
安保闘争は様々に総括できるが、戦前・戦中に大人だった人々が作り出した現体制を打破しようとする運動だったのは確かである。プロの政治家でも革命家でもなかった学生たちに破壊後の明確なヴィジョンがあったとは言えず、何よりもまず体制打破が優先された運動だった。その意味で安保闘争は第一次大戦後にヨーロッパで起こったダダイズムに似ていた。終戦によって戦前の体制が崩壊したことは、日本社会の全てが一度白紙還元されたことを意味するはずだった。しかし現実は違っていた。相も変わらぬ戦前からの諸勢力がしぶとく生き延びていた。戦前の皇国主義に積極的に荷担したわけではないが、命を賭して国のために戦ったわけでもない戦後の若者たちは、自らの肉体と精神を賭けて戦後のゼロ地点を模索したのである。
(鶴山裕司『短歌の根はどこにあるのか-福島泰樹短歌絶叫(上)』)
鶴山さんは安保闘争の時代を総括的に認識把握した上で、福島文学に迫ってゆきます。鶴山さんは『問題の本質は、必ずしも学生運動の勝敗にはなかった。社会・文化領域ともに戦前・戦中世代が中心とならざるを得ない社会で、戦後世代がどのような精神を獲得できるのかということである。その意味で『バリケード』は、政治的に敗北してもなんら変わらない全共闘世代の精神の砦の意味でもある』と批評しておられます。福島泰樹論中篇は明日掲載します。
■ 鶴山裕司 文芸評論『No.001 短歌の根はどこにあるのか-福島泰樹短歌絶叫(上)』 ■
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