長岡しおりさんの文芸誌時評 『No.014 群像 2016年09月号』 をアップしましたぁ。長岡さんは『文芸誌が苦しいのは、必ずしも経済面ばかりでない。ただ経済的な数字を見るときのサインを援用すると、エッジというものを探すことになるが、それが誌面になかなか見当たらない、(中略)エッジというのは何かの利点とか特長とか、とにかく有利にはたらくポイントと言ったらいいだろうか。有利であれば、身を乗り出して勝ちにいくことになる。それも他誌と比べて有利、というのは結果であって、むしろ文学の状況や評価の軸に対し、今はこれ、と自信をもって推し進められる定見、視点といったものだ』と書いておられます。
自分だけ良ければいいといふのは、文学者に限らず人間存在の本音でしょうが、なかなか一人勝ちは難しい。戦後文学全盛期には、まあはっきり言えば群小作家もなんとか文筆でご飯を食べられたのですが、それは文学界全体に勢いがあったからです。勢いが衰えると、どーなるか。いろんな仕組みが見えてきます。
文学者は新人賞だろうと文学賞を受賞しようと、コンスタントに本が売れなければ食えない。漠然と文筆で飯を食うことを夢見ている方もいらっしゃるでしょうが、本が売れていない作家にそもそも原稿依頼は来ない。フリーライターという方法もありますが、やはり文学者との兼任は難しい。フリーライターは基本、クライアントの要望通りに原稿を仕上げて対価を得る仕事です。たいていの場合、作家的なプライドは仕事の邪魔になる。もしくは作家とは質の違う仕事へのプライドを持つ必要がある。客あしらいも含めてフリーライターの仕事です。作家は売れなきゃそれまでですが、常にクライアントと一緒のフリーライターはとても気苦労が多い仕事です。
長岡さんはまた、『現在は、下降局面が終わったのに上昇が始まらない。ずーっと低位を這っているようなあり様だ。これはしかし、この状況が長く続けば続くほど、どこかの時点で爆発的な上昇か、あるいは爆発的なさらなる下降が待ち構えていることを示す。すなわち「文学」に相反する抵抗的な要素がひとつずつ消化されるのに時間を費やしているのだが、今はその要素が莫大な量あるのだ』と批評しておられます。
文学の世界では、一昔前までうまく動いていたシステムをメンテして、もう一度活性化しようという試みが続いています。世の中がガラリと変わるはずがないですから、それはそれで大切な試みです。でも作家がそんなことを心配する必要はない。『「文学」に相反する抵抗的な要素』は、メディアだけでなく作家もたくさん抱えています。そういった『抵抗的な要素』、つまり〝邪念〟を一つ一つ検討して消去していけば、作家はとても楽になると思います。またそれが文学の世界を活性化させる力になってゆくでしょうね。
■ 長岡しおり 文芸誌時評 『No.014 群像 2016年09月号』 ■
■ 第04回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
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