大篠夏彦さんの文芸誌時評『No.030 文學界 2015年10月号』をアップしましたぁ。松波太郎さんの『ホモサピエンスの瞬間』を取り上げておられます。私小説と並んで前衛小説も、文學界さんのほぼ専売特許です。専売特許といふのは芥川賞でも受賞しない限り、この手の小説はまず売れないからです。同レベルの作品はけっこう書かれていると思いますが、文學界さんでなければ本を売ることはできないでしょうね。ただ大篠さんが書いておられるように、『一作目は賞の力で話題になっても、二作目以降は下降線を辿ることは目に見えている』。難しい小説ジャンルです。
現在小説界で書かれている実験小説は、僕には一昔前の現代詩の亜流のように見える。現代詩は当初、戦後的な意味(戦争責任など)を無化する純粋言語抽象構造体を目指した。「詩は意味の伝達の道具ではない」という入澤康夫の発言などが有名である。これを作家が援用すれば、「小説は物語の伝達の道具ではない」ということになろう。プロットはもちろん、主人公や登場人物の解体が始まるのだ。しかし現代詩的修辞は、じょじょに詩人たちが未来が読めないことを韜晦するための隠れ蓑と化し、現代詩は見る影もなく衰退した。江藤淳ではないが、「わからないならわからないとはっきり書く」のも一つの方法だろう。詩壇で起こったことは必ずと言っていいほど遅れて文壇でも起こる。詩壇の衰退は文壇にとって人ごとではないと思う。
(大篠夏彦)
大篠さんは、純文学的前衛小説は『一昔前の現代詩の亜流』だと書いておられますが、石川もそう思います。どんなジャンルにもジャンルの掟があり、小説の場合は物語です。入澤康夫さんの『詩は意味の伝達の道具ではない』に倣って小説家たちが『小説は物語の伝達の道具ではない』とやり始めても、小説文学の本質的解体にはつながらないと思います。むしろ徹底した物語作家になることで、初めて従来の物語構造をわずかに解体できるのではないかと思います。
大篠さんはまた『詩壇で起こったことは必ずと言っていいほど遅れて文壇でも起こる』と書いておられますが、これも確かでしょうね。詩で食べられる詩人はほとんどいませんが、純文学作家も同じ状態になりはじめています。小説業界で自費出版が増え続けている現状も、文壇の詩壇化を思わせます。
小説ジャンルの掟である物語は、エンタメ業界の掟でもあります。物語がなければドラマや映画は成立しない。だからこそ小説は爆発的に〝売れる〟要素を秘めているわけですが、読者(消費者)が求める物語のハードルがどんどん高くなっています。前衛小説の物語の解体はなんの解決にも光明にもならないでしょうね。物語を掟とする小説は、物語によって正面突破で現状を打破してゆくしかないと思ふのでありますぅ。
■ 大篠夏彦 文芸誌時評 『No.030 文學界 2015年10月号』 ■
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