池田浩さんの文芸誌時評『No.013 三田文学 2016年冬季号』をアップしましたぁ。三田文学さんの特集は『西脇順三郎』です。池田さんは『誰も彼も、自分は西脇順三郎の弟子だと言うのだ。もちろんすでに亡くなっているから、確認しようがない。(中略)とはいえ西脇先生は、そいつは弟子じゃない、と言い出すようなお人でもなかった。弟子と言われれば、きっとそうだ、少なくともそうかもしれない、と認めてくれる。それだから皆、遠慮なく「弟子入り」するのだろう』と少しシニックなことを書いておられます(爆)。
まあどの大学でもアイドルはいるもので、東京大学では夏目漱石とラフカディオ・ハーンがアイドルです。かなり定期的に『漱石とハーン』と題された学会が行われているらしひ。でも漱石が『夢十夜』をハーンの影響で書いたなどと言い出せば、そりは牽強付会もいいところです。漱石とハーン、同時代人という以外ほぼ何の接点もありまへん。
池田さんは『すでに「会いに行けるアイドル」でない西脇順三郎について、もし会ったことのない、特に若い人たちに伝えようとするなら、やはり筋のいい弟子のラインから繋げてゆくのが正しいと思う』、とも批評しておられます。このあたりが雑誌編集の難しいところでせうね。
西脇順三郎や漱石、ハーンはすでにエスタブリッシュされた文学者です。ただ彼らについて書いたからと言って、当たり前ですが書き手の株が上がるわけでは全くありません。読者は結局のところ〝誰が書いているのか〟にしか興味がないのです。優れた現存作家が書いていれば、少なくともそれなりにためになる思考が披露されているはずです。でも書き手の質が悪ければ、どんな大物作家について書いていても凡庸な文章にしかなりません。
一時代を築いたと認識される雑誌には、必ずと言っていいほど優れた中核作家がいます。そういう作家を各時代ごとにセレクトしてゆければ、その雑誌の寿命と評価はすんごく上がります。それが難しい時代になっているのは石川も重々承知しています。かといって中核作家を確保できなければ、あるいは中核作家のセレクトを間違えれば、雑誌メディアは立ちゆかなくなるだろうなぁとも思います。
■ 池田浩 文芸誌時評 『No.013 三田文学 2016年冬季号』 ■
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