Interview of gold fishes 第17回 新倉俊一『新しい詩を書くために(後編)』をアップしましたぁ。英文学者で詩人の新倉俊一さんのインタビュー後編です。インタビューアーは鶴山裕司さんです。前編に引き続き、詩についての実践的で明快な議論が交わされています。合理主義的な思考方法を採る英文学を中心としたインタビューであり、新倉さんと鶴山さんが、もやもやとした詩的アトモスフィアを嫌う詩人でもあるからでしょうね。
新倉 パウンドは俳句とか能から多くを吸収しています。俳句の場合は連歌につながるでしょう。能は長い意識の流れのような面がある。そういうものを基にパウンドは『詩篇(キヤントーズ)』を考えていったわけです。パウンドは「能みたいな詩を書きたい」と言っていますが、それは日本人にはわかりませんよね。あんなメチャクチャに長い詩がどうして能なのかと思ってしまう。でもあれは能の意識の流れの援用でもあるんです。
鶴山 ああなるほど。それに能には死者が出てきますね。『詩篇(キヤントーズ)』には、意外と〝私〟という主語がないことも日本の俳句や能から学んだ点かもしれない。ある主人公を設定して、その人に語らせるというペルソナ手法を多用した詩人ですが、それは能の方法と同じです。また詩の途中でペルソナを変えるから長い詩でも飽きない。さらにその中に時々パウンドそのものの〝私〟が出てくると実に効果的です。詩を私の意識だけで書くとだんだん飽きてくるでしょう。
石川はときおり詩誌を読みますが、詩作品はまあ門外漢だから口を差し挟まないことにして、評論に関してはほとんどの詩人が失格だと思います。何が書いてあるのかわからない。詩人たちは意味がわからない散文を書くことを詩的だと考えてるんぢゃなかろうかと思ふこともしばしばです。句誌では俳句の書き方読み方のABCが、これでもかといふくらい掲載されていますが、詩人で実践的自由詩入門を書ける人はほとんどいないだろうなぁ。
それに対して新倉さんと鶴山さんの議論は明快です。詩を技術的に分析する能力をお持ちです。どんな表現も技術がなければ成立しません。思想は技術があって初めて効果的に表現されるものです。詩人さんたちは、わからないものははっきりわからないと言う勇気を持つ必要があります。まず散文で整理できることは、徹底的にプラグマティックに整理すべきでしょうね。そうすれば自ずから詩作品の行き詰まりにも打開策が見えてくるのではなひかと思います。
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