岡野隆さんの詩誌時評『No.027 月刊俳句界 2015年05月号』をアップしましたぁ。『句誌は散文が多いなと思う。(中略)今は作品を書くのが半分、散文を書くのが半分という俳人が増えているのではなかろうか。とは言っても芭蕉や蕪村について徹底的に考え、俳句の原理について考え抜くような本格的評論はほぼみかけない。ではどう見ても共通パラダイムがない現在において、俳人たちはどういった質の状況論(散文)を書いているのだろう』といふのが岡野さんの疑問の投げかけです。
んで結論は、『今の句誌を埋め尽くしている状況論的散文は、わたしの、彼の、彼女の俳句のプレゼンテーションである。他者と紛れてしまいそうな作品を、この方はこんな履歴を持っていて、こんな素晴らしい精神の持ち主で、作品ではこの箇所の表現が素晴らしいのだと、ひたすら褒めちぎっている文章が多い。(中略)つまり現在の俳壇の状況を作っているのは肥大化したエゴイズムプレゼンテーションである。みんな仲良しに見えて、他者の作品には興味のない、孤立したエゴの集団として安定しているということだろう』と批評しておられます。相変わらず岡野さんは俳人さんたちがキーッとなるやうなことをお書きになる(爆)。
でもまあこれは文学界に限らずネット社会の特徴でもあるなぁ。ある年齢以上の人には信じがたいでせうが、自分のSNSを飽くことなく眺め、そこでは自分の発言中心に配列されますから、自分がメディアを持っており、自分が世界の中心であるかのように錯覚してしまふ人が意外なほど多ひのでありまふ。でも大手メディアに自分のSNSが取り上げられたりすると大喜びしちゃうわけでせう。それぢゃあ独立メディアとは言えません。もちろん発言に対して批判も寄せられますが、それは基本エチケットに反するといふ暗黙の了解があり、ぬるい誉め合いがほとんどです。本気で炎上するのは有名人のSNSだけでせうね。
岡野さんの批評は、こういった状況といふか風潮が、SNSなどをやらない年長の文学者の中にも蔓延していることを示唆しています。要するに軸がない。的確な批評を行うにはなんらかの思想的な軸が必要です。若者から年長者に至るまでその軸を見失っているので批評ができない、あるいは批評は無意味なので、とりあえずの誉め合いになっているといふ面があります。この状況、しばらく続くでせうね。ただずーっと続くとは限らない。新たな文学のヴィジョン(思想軸)を打ち立てることができれば、あなたがきっと次の時代のスターですよん。
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■ 岡野隆 詩誌時評 『No.027 月刊俳句界 2015年05月号』 ■