鶴山裕司さんの連載エセー『続続・言葉と骨董』『第46回 御道具(前半)』をアップしましたぁ。鶴山さんは『茶道の世界ではお茶席で使う棗や茶杓、茶碗などを「御道具」と呼ぶ。値段を言えば高価な物から安物まであるわけだが、基本はお茶を楽しむための道具という位置づけである』と書いておられます。今回はいわゆる御茶道具の茶碗(陶器)についてのエセーです。お茶事では陶器を使うのが基本で、磁器を茶碗として取り上げることはほとんどないのですね。
鶴山さんは馬場あき子さんの『能は「十四世紀後半から十五世紀にかけての〈整理の文学〉であり、大胆な総合への意欲を見せた〈混淆の美学〉である』という言葉を引用した上で、茶道にも「整理の文学」と「混淆の美学」が認められると書いておられます。その通りでしょうねぇ。茶道は室町時代後期の将軍・足利義政の東山文化時代にその基礎が形作られます。千利休は室町時代末から桃山時代にかけての人ですが、彼の美学的基盤や思想基盤は、室町文化に置かれていたと思います。
茶道の世界で最高位とされるのは「真」の茶で、その道具立ては将軍・義政が集めた御道具類、つまり東山御物が最高だと言われています。この点について鶴山さんは、『東山御物は中国・朝鮮からの舶来品であり、国産美術品の生産が思うにまかせなかった時代に、貴人たちがその美意識を〝仮託〟した文物である。それがなぜ茶道で最高の「真(しん)」の位置を占める御道具類になったのかと言えば、国産品でない分、かえって日本人の美意識が鮮やかに見て取れるからだと思う』と論じておられます。後半にはこの思考がさらに深化します。じっくりお楽しみください。
■ 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)は3月31日〆切です ■
金魚屋では21世紀の文学界を担う新たな才能を求めています。
小説はもちろん短歌・俳句・自由詩などの詩のジャンル、あるいは文芸評論などで、思う存分、新たな世界観、文学観を表現したい意欲的作家の皆様の作品をお待ちしております。
■ 鶴山裕司 連載エセー『続続・言葉と骨董』『第46回 御道具(前半)』 ■