佐藤知恵子さんの文芸誌時評『No.014 オール讀物 2014年12月号』をアップしましたぁ。乙川優三郎さんの小説『ろくに味わいもしないで』を取り上げ、夢枕獏さんが別のペンネームで小説を書き始めたといふトピックを取り上げておられます。佐藤さんの『ろくに味わいもしないで』の読解は面白いですが、そりはコンテンツをお読みいただくとして、作家を目指す皆さんには夢枕さんの新たな試みが気になるでせうね。
佐藤さんは、『獏先生は月産三百枚くらいが一番いい原稿量だとおっしゃっていますが、恐らくもうちょっと書いておられるでしょうね。ネタを仕入れる時間がないように思ってしまうのですが、獏先生の場合は遊びがすべて原稿の内容に反映されているようなところがあります。それができるのは、獏先生に筋の通った文学のヴィジョンがあるからだと思います。遊びを含む生活すべてがお作品の糧になる作家もいらっしゃれば、何をやってもお原稿の厚みが出ない作家様もいらっしゃいます。ただ大衆作家様の場合、まず量を書いた上で質が求められます』と書いておられます。
作品の構想を練ったり原稿を書くスピードは作家によって違いますが、安定して作品を量産できる力がないと作家としてやって行けないのは言うまでもありません。また本気で執筆に取り組めば一日の大半の時間を取られますから、遊んでいても常にネタを探す努力が必要です。また遊びを含む生活すべを作品の糧にするためには、他者への好奇心が不可欠です。生きている人間はもちろん、物や本(自分以外の作家)への興味もそこには含まれます。〝書くのは好きだけど読書は好きじゃない〟といふ方は作家には向いていません。
作家の卵だけでなく、それなりに活動している作家の中にも自己中心的な人が増えています。そういった方に共通しているのは他者への興味の薄さです。もちろん旅行したり他者と交流したり、珍しい物を手にしたりしているわけですが、それを自分を飾り立てるための道具にしてしまふ。作品の背後には厳然と作家が存在しているわけですから、作家の存在は小さくていいのです。他者中心に描き物主体にその本質を語ることが、希薄なはずの作家の存在感を際立たせます。いつも〝私〟が目立ってしまふ文章は落第です。そういふ作家は、獏先生が〝夢枕獏〟といふビッグネームとは別のペンネームを求めた理由を理解でけんでせうなぁ。
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評 『No.014 オール讀物 2014年12月号』 ■