小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『第012回 気まずいポテトサラダへの個人的復讐/ロマン銀行へようこそ/もう一度ポテトサラダについて』をアップしましたぁ。
「でもどこにもそんな名前ぶらさげてないじゃないですか」
「そりゃロマンですから」
ロマンとは現実には存在しないものなんです。
かといってまったくの夢、というわけでもありません。
まぁ言わば現実と夢の狭間(はざま)、でしょうか。
いや、むしろ現実と夢を行ったり来たりする存在なのかもしれません。
そこ(・ ・)とここ(・ ・)を行ったり来たり。
言わばロマンは循環しているやもしれません、その運動を美しいと感じることができればそれはロマンに成り得るのです。(小松剛生『ロマン銀行へようこそ』より)
過去、僕はポテトサラダにまつわる話を二度ほど書いてきた。(中略)
いずれもくだらないうえに大した内容もない文章で、完ぺきとはほど遠いものだった。
――もっとも。
ポテトサラダに完ぺきを求めるほうが無茶なのかもしれない。
完ぺきなポテトサラダ。
もしそんなものが存在するとしたら、それはきっと味気ないものになっていただろう。
僕はポテトサラダの不完全さが好きだった。
大きさがまばらなニンジンや、輪切りされたきゅうりの歯応えのない食感にあるような、不完全さが好きだった。(小松剛生『もう一度ポテトサラダについて』より)
いずれも堂々巡りといふか、同じやうな物語がリピートされているわけですが、こういふ物語の作り方は小説を読む快楽の原点でもあると思います。そういった小説本来の快楽を小松さんはよく捉えておられる。じっくりお楽しみください。