谷輪洋一さんの文芸誌時評『No.007 小説TRIPPER 2015年秋号』をアップしましたぁ。谷輪さんは『批評というものは返す刀で常に自身を見やる視線そのものなのだから、こういう時代に文学の状況論など語れるのは、たとえ勘違いであったとしても、自身は状況を相対化する原理を完全に捉えていると思い込んでいるしかあるまい』と書いておられます。
もちろん試行錯誤の批評があってもいいわけですが、やはりズバリと核心を衝く批評家が現れてくれなければ、現在の停滞した状況は活性化しないでせうねぇ。また優れた批評には優れた創作がつきものです。それが両輪になってうまく作用しないと文学の世界は盛り上がりません。もち優れた創作者と批評家は別でいいわけですが、それは難しいかもしれません。恐らく優れた創作者兼批評家の出現を待つしかないのではないかと石川は予感しております。だって創作も批評もともに停滞してるんだもん(爆)。
現在文芸批評本はマジ売れません。小説業界ですらそうですから、詩歌の世界は考えるだに恐ろしい状況だろうなぁ。プロパーの小説批評家が必要とされない理由に、小説家が批評家を兼ねるという現象があります。ただ小説を書いたことのない批評家よりも、作家の方が小説のことを深く理解しているかどうかはちょいと疑問です。またはっきり言えば、小説家の創作と批評行為が釣り合っているかと言えばそうではなく、低調な小説創作を補ってなんとか文学ジャーナリズムに踏みとどまろうとしている気配もあります。
石川はこのような現象はあまりよろしくないと思います。すべての作家は自分の本が売れないことを読者や社会のせいにすることはできません。全部自分の責任です。本が売れないという現実を直視して、その打開策を様々に試すのが正しい作家の道だと思います。作家さんが批評をするのは大いにけっこうですが、谷輪さんが言うように『批評というものは返す刀で常に自身を見やる視線そのもの』なのですから、それによって創作が変わり、社会に影響を与えるような〝結果〟を出さなければならないと思ふのでありますぅ。
■ 谷輪洋一 文芸誌時評 『No.007 小説TRIPPER 2015年秋号』 ■