きゃぁぁぁぁっ! 次郎様よ! 今月号の「オール讀物」には浅田次郎先生がお書きになっていらっしゃるのよっ! オール様にはいろんなスター作家の先生方がお書きになりますけど、次郎様以上のスーパースターはいらっしゃいませんわ。アテクシ、フィギュアスケートの浅田真央ちゃんが休養して、高橋大輔君が引退しちゃってから、どのジャンルにも絶対にスーパースターが必要なんだわぁと痛感しましたの。そりゃぁ羽生結弦君は王子様ですけど、まだちょっと影が足りないわねぇ。真央ちゃんや高橋君には影がありますの。試合に勝っても負けても最後まで見ちゃうのよ。そんなことってスーパースターでなければ起こりませんことよ。ああっ、プルシェンコさまぁ。
次郎様の作品には、ひとことで言うと〝大人の魅力〟がありますの。言葉で言うと単純ですけど、小説の場合はそう簡単じゃございませんわよ。アテクシ、活字中毒で純度100パーセントのオバサンですから、作家先生方がお書きになる作り話を「楽しかったわぁ」と申し上げられるくらいは優しくて意地悪ですの。もちろん次郎先生の作品も作り話で出来不出来もござーますわ。でも底が固くて作品への圧のかけ方が信頼できますの。大衆小説の場合、突飛な人間関係とか事件が物語の要になることがおおございますわね。いわゆる〝飛び道具〟よ。でも飛び道具をちゃんとお使いになるには優れたコモンセンスと人生経験が必要だわ。そうでないと飛び道具と一緒に作家先生方の個性も飛んでいっちゃうわよ。次郎先生の作品では、突飛なことが起こっているのにそれがちっとも突飛じゃありませんの。やっぱり次郎様というお名前には偉人が多いのねぇ。また行きたいわぁ、すきやばし次郎。
今号のオール様の特集は「戦争を忘れない」でございます。小説誌の特集はいい加減でございますけど、城山三郎先生へのインタビューなども再録されております。アテクシ、城山先生の、ほんとうにプリンシプルな戦争反対思想を心から尊敬申し上げております。でもアテクシやっぱり、今号の次郎様のような小説ならではのアプローチが好きだわぁ。当たり前ですけど、関ヶ原の戦いと第二次世界大戦を取り上げる時では、作家様のスタンスが違ってきますわね。大昔の戦争は、現在の平和な社会につながるような〝良き意志〟がそこにあると仮定した作品でございます。その意味で理想主義的なSFですわ。でも先の大戦は違います。今でも解決が難しい様々な問題の源ですの。
そういった立場が違えば解釈も180度変わってしまう難問を、一定の方向に導いてゆくのが政治家先生の勤めですわ。でも作家様が本気で社会問題に取り組めば、政治の力の論理に巻き込まれてしまうでしょうね。それはそれで立派なことですが、作家様には別の役割もあると思いますの。大権力の対局にある、ミニマルな市井の人々の心を描くことですわね。もちろん大権力の前で市井の人々は無力であり、権力を翼賛した存在とも捉えられます。でも権力には光(絶対無謬の表側)しかありませんけど、人々の心には光と影がありますの。そんな微妙な影の精神の揺らぎを、わたしたちは良心や倫理と呼んでいるのではないかしら。また声高に叫ぶだけでなく、どんなに強大な権力にも押しつぶせない、ささやかだけど強い言葉を持つことは、いつの時代でも作家様には必要なことだと思いますわ。
秋田新幹線の開業も、白神山地が世界自然遺産に指定されるのもずっと後年の話で、社内には観光客らしき人の姿はなかった。
「旅というものは、こうじゃなくちゃいけません。まあ、一献」
例外はこの老人である。話し相手が欲しくなったのだろうか、背うしろの座席から地酒の徳利を提げて、私の目の前に移ってきた。
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満州随一の大都会がゆっくりと車窓に移ろってゆくさまを眺めていると、「よろしいかな」と声をかけられた。「どうぞ」と背中で答えてから、沢村はあわてて立ち上がった。
立派な軍服に身を包んだ中佐殿である。(中略)大した貫禄だった。(中略)
「こちらにお掛け下さい」
「いや、かまわん。ここでよろしい」
乗客のなかばは奉天駅で下車し、二等車はすいている。ならばどこに座ってもよさそうなものだが、厄介なことになったと思った。つまり、話し相手にされるのである。
(浅田次郎「流離人」)
次郎先生の「流離人」は、青森から秋田あたりを走る列車の中から始まります。1970年代くらいの設定ですが、現代の物語だと言っていいでしょう。一人旅をする私の前に、話し相手が欲しくなったのか、後ろの席に座っていた老人が酒を手に移ってきます。沢村と名乗った老人は、自分の従軍体験を話し始めます。沢村は帝国大学法科の学生でしたが、戦争最末期の昭和20年に徴兵猶予を停止されて出陣しました。ただし帝大生ですから肩書きは少尉です。員数合わせのための高級士官で、いわゆる〝学徒将校〟と呼ばれていました。
沢村少尉は下関から釜山に渡り、鉄道を乗り継いで満州国の首都・新京に向かいます。そこで赴任地の指示を受けることになっていたのです。その途中、列車の中で沢村は、立派な身なりで貫禄たっぷりの中佐殿と相席になります。小説の語り手の私がいる現代でも、沢村老人が話す昔話の中でも電車が走っています。現代と過去に列車を走らせることで、次郎先生は私たちも沢村たちも同じ列車に乗っていて、同じ方向に向かっていることを示唆しておられます。沢村老人の話はもう終わってしまった昔話ではなく、わたしたちの未来へと続く物語でもあるのです。
「中佐殿は脱走兵であります」
沢村はきっぱりと言った。(中略)
「では、未来の法律家にお訊ねしよう。逃亡の定義とは何か」
「それは条文にある通り、ゆえなく職役を離れ、または職役に就かざる者、であります」
「ならば本官は該当しない。現在も命令に従い、鋭意専心、任地に向かっている」
何を馬鹿な――と言いかけて、沢村は口を噤んだ。倫理はともかくとして、法理は中佐に分があると思ったのだった。
参着の日が指定されていないのである。内地からの交通がままならぬうえ、関東軍は大動員で混乱している。赴任する将校に参着日時など言えるはずはない。
つまり何ヶ月かかろうが、何年かかろうが、当人に部隊を追及している意志さえあれば、逃亡とする法的根拠はないことになる。ましてや命令は口達なのである。
(同)
沢村少尉は新京の関東軍総司令部で赴任地を指定されますが、いつ到着できるかわからないような状況です。満州の町や電車の中で、沢村は何度もあの立派な中佐殿に出会います。尋ねても氏名も赴任地も明かさない中佐殿に、沢村は次第にこの人は任地に赴く意志がなく、わざと到着を遅らせている脱走兵ではないのかという疑念を抱くようになります。沢村は意を決して「中佐殿は脱走兵であります」と言いますが、彼はたじろぎません。「本官は該当しない。現在も命令に従い、鋭意専心、任地に向かっている」と堂々と答えるのです。
戦争末期の中国大陸が、日本軍、共産党、国民党が入り乱れる膠着状態にあったのは歴史上の事実です。そのため戦争初期から中国大陸に赴任していた古参兵や高級将校たちの方が生き残り、急遽動員され南方に送られた、職業軍人ではない学生たちが次々に戦死するという皮肉な事態が起こったのです。中国戦線をお調べになったことのある方はおわかりでしょうが、あの地での戦争は摩訶不思議なところがあります。終戦を数ヶ月後に控えた混乱期ならば、次郎先生が描いたような史実があるいは本当にあったのかもしれません。中佐殿はあくまで上官としての威厳を保ちながら、若いにわか軍人の沢村少尉に、戦争が終わるまでこのまま任地への参着を遅らせて、生き延びよと示唆するのです。
それから、唇だけで何かを言った。無言の声はくり返されるうちに、「死ぬなよ」と読めた。
その命令のありがたさに、沢村は軍服の袖を瞼に当てて泣いた。
「中佐殿も、死なんで下さい」
声に出してそう言うと、中佐は少しあたりを憚ってから、きっぱりと顎を振った。
死にはしないが、もう日本へは帰らんよ、と言っているように思えた。
汽車が動き出した。沢村は窓から身を乗り出して敬礼をした。とたんに目を疑った。中佐は答礼をせず、略帽を脱ぎ腰をきっかりと折って、半白の坊主頭を深々と下げたのだった。
お国にかわって詫びてくれた人がいるのだから、学問を奪われた恨みも友を喪った悲しみも、すべて忘れようと沢村は誓った。
(同)
中佐が「お国にかわって詫びてくれた」というのは、常に無謬を装い、特に人の命がかかった戦争状態では絶対無謬でなければならない権力を前提とすれば、次郎先生のナイーブな理想思想の表現であるのかもしれません。しかし「死にはしないが、もう日本へは帰らんよ、と言っているように思えた」という記述はどうでしょうか。列車は走り続けているのです。あの戦争によって生じた様々な問題はまだ終わっていません。次郎先生の「流離人」は先生の思想を表現するための道具ではなく、現在進行形で続いている歴史を描いた作品なのでございます。
佐藤知恵子