世界(異界)を創造する作家、遠藤徹さんの連載小説『贄の王』(第11回)をアップしましたぁ。今回の冒頭のエクリチュールは美しいです。
しめやかな雨が降る。
絹の帷。そんな肌触りの、やわらかくゆったりした雨。細やかな粒子からなる雨だ。ゆるやかに体を包み込み、しっとりと髪を濡らす。その優しさにさしていた傘を思わず閉じてしまう。少しでいいから、直接愛撫を受けてみたいと願う。その願いは叶うだろう。(中略)夢見心地の安心のなかで、雨に愛されながら人は骸と化してゆく。いたるところで、くつろいだ吐息が次第に薄くなってゆく。
かつての現代詩を思い出されるような書き方です。でも現代の詩人で、遠藤さんくらいリアリティのある抽象世界を描ける作家はいません。結局、それは〝書き方〟の問題ではなかったのです。現代詩は思想を失い、書き方の骸(むくろ)となってその役割を終えようとしています。遠藤さんは現代詩の書き方を援用しているわけではなく、彼の思想が現代詩的な書き方を必要としたわけです。では遠藤さんの思想はどのようなものなのか。
「受け入れよ、世界はどうしようもなく変わるということを。どう抗おうが、どう嘆こうがお前たちにできることなどなにもない。ただ慈悲を請え。古く年ふりた汚らわしいものらへの帰依をやめよ。そして、新しき御名を心に刻むがよい。今は新しき者どもと蔑称で呼ばれる方々の御名を。その名を聞きたいものは、来るがよい。そっと耳打ちしてあげようほどに」
こういった記述に遠藤さんの思想が表現されているでしょうね。「古く年ふりた汚らわしいもの」と「今は新しき者どもと蔑称で呼ばれる方々」は果たして対立しているのでしょうか。根源的な思想が囁きのように伝わってきます。
■ 遠藤徹 連載小説 『贄の王』(第11回) テキスト版 ■