ラモーナ・ツァラヌさんの連載エセー『交差する物語』『No.016 写真に、愛を試される瞬間』をアップしましたぁ。ラモーナさんによる荒木経惟論です。荒木さんの写真は欧米、特にヨーロッパでものすごく評価が高い。いろいろな側面で、荒木さんの写真がカウンターカルチャーとして衝撃を与えています。
欧米美術市場では写真はファインアートの一つです。美しいか醜いかを問わず、写真は絵画のような決定的な一つの作品でなければ値段が付きにくい。しかし荒木さんはあくまで写真を写真として提示する。ストレートに言えば写真家以外の人類の99.9パーセントがやっているようなやり方で写真を撮り、それを作品として発表しています。その意味でアンディ・ウォーホールが絵画の世界に複製芸術という概念を持ち込んだのに似ているかもしれない。簡単なようですが、〝写真を写真として提示する〟のは荒木さんのようなプロ中のプロでなければ為し得ない革命的仕事だったわけです。また荒木さんの写真には、現代の日本を伝えているといふ意義もあるやうです。
ラモーナさんは、「その写真に、自分がそれまで抱いてきた日本のイメージを試されているような気がしていた。というよりも、その時点までに見ていた理想がどこか不完全で、欠点のあるものだとこの写真集が知らせてくれた。・・・「もっと知りたい」という想いを貫く人は、やがて本当の日本の顔に辿り着くのである。その顔は理想的でもなく、「他人」でもなく、同じ人間である自分に強い親近性のあるものだったりする」と書いておられます。荒木さんの写真は1950年代から現在までの、ありのままの日本を表現しているのですね。
その意味で彼の写真は、英語で〝floating world〟、ふわふわと漂っている世界と訳される「浮世絵」に近いものなのかもしれません。19世紀末に浮世絵が印象派の画家たちに衝撃を与えたように、荒木さんの写真は現代の欧米作家たちに衝撃と影響を与えているやうです。
■ ラモーナ・ツァラヌ 連載エセー 『交差する物語』『No.016 写真に、愛を試される瞬間』 ■