【公演情報】
会場 こまばアゴラ劇場
公演期間 3月11日~22日
鑑賞日 3月13日
監修・補綴 木ノ下裕一
演出・美術 杉原邦生
出演
阿闍梨祐慶 夏目慎也
山伏 大和坊 福原 冠
山伏 讃岐坊 大柿友哉
強力 太郎吾 北尾 亘
老女 岩手 武谷 公雄
木ノ下歌舞伎の作品を観るたびに、普段とは少し違った形で伝統芸能と向き合うことになる。古典芸能の現代化というコンセプトを中心に活動してきた演劇ユニット木ノ下歌舞伎は、主に歌舞伎の演目を現代演劇風に上演している。彼らの作品では、何百年も受け継がれてきた古典芸能の物語が読み直され、現代を生きる私たちの感覚に響くような形式で再発表される。
今回の作品『黒塚』は2年前に初めて上演され、CoRich舞台芸術まつり!2013年グランプリを受賞した。この作品の基盤になっているのは、昭和時代に作成された歌舞伎舞踊の演目『黒塚』である。しかしその題材は、中世に流行した安達原に住む鬼婆の伝説である。この伝説に基づいて、能『安達原』(観世流以外、現行題目は『黒塚』)が作られ、その上演の最古記録は寛正6年(1465年)まで遡る。『葵上』と『道成寺』と並んで、鬼女を登場させる演目として昔から高い人気を集めている。日本舞踊の『黒塚』は能の物語とほぼ同じ内容を踏襲しながら、物語に歌舞伎独特の要素を加え、ドラマとして再構成された。
陸奥の安達原にある黒塚に鬼が住むという話は、拾遺和歌集にも歌われている古い伝説だが、修行中の山伏たちが寒い秋の夜に安達原に着き、小さな家に一人で住む老婆・岩手に一夜の宿を頼む。老婆は最初は断るが、気の毒な山伏達を見て心変わりし、泊めてやることにする。家に入った山伏達は珍しいものを見る。毛の糸を紡ぐ糸車である。山伏達にせがまれ、老婆はその使い方を見せながら、昔を回想する歌を歌い始める。老婆は歌うことで自分の罪深さを思い出し、泣き始める。山伏の頭領である祐慶は彼女を慰めるために、どんなに罪深い生き物にも救いを与える仏道の功力を説く。老婆は聊か励まされ、客達のために山へ薪を拾いに行く。ただ家を出る前に、自分の留守中に絶対に奥の寝室に入ってはならぬと言う。山伏達は約束を守り、老婆が帰ってくるまで祈りに専念する。しかし彼らの従者は好奇心に負けて老婆の閨を覗き込み、死体が山積みになっている恐ろしい光景を目にする。老婆が鬼だと分かった山伏一行は家から逃げようとするが、秘密を暴かれたと気付いた老婆は鬼に変化して帰り、彼らを襲う。鬼の怒りは凄まじいのだが、山伏達の祈りの力に打ち負かされ、闇の中に姿を消すのである。
このあらすじは能や歌舞伎舞踊、そして木ノ下歌舞伎による『黒塚』にも通じるものだが、細かい部分にそれぞれの芸能の趣が見えてくる。例えば能の『黒塚』では、老婆が糸車の使い方を見せる場面は輪廻を連想させる糸車の役割が中心になる。歌舞伎ではその場面は、主人公の岩手が昔は都に住んでいた人で、身分の高い人だったという背景がほのめかされる。木ノ下歌舞伎の『黒塚』はこの流れを受け、老婆の人間像にさらにもう一つの要素を付け加える。昔乳母として都の貴族に使えていた彼女は、預けられた女の子の命を助けるために自分の娘の命を取ることになり、気が狂って鬼になってしまった。岩手が鬼になった理由が付け加えられたことで、彼女の人間像の輪郭がより明確になったのである。
主人公のイメージの変遷を追ってみると、能楽、歌舞伎、現代演劇それぞれの観客が、物語を理解するためにどのような情報を求めているのかが明らかになる。それぞれの芸能には主張したい価値観があり、その価値観に沿った表現をしているのだ。
木ノ下歌舞伎のアプローチは、特に主人公の人間像を作り上げることに力を注いでいる。仏教の教えによって希望を取り戻した岩手は、いっときだが「鬼」から「人間」に戻るのだ。薪を拾いに一人山に登った彼女は、月明かりの下で少し休みながら一輪の花を眺め、自分の人生を振り返る。よく知られているように、月の澄んだ光は仏教の教えによる成仏への希望を象徴する。その光の中で一瞬人間に戻った岩手は、希望を抱き、喜び踊り始める。自分の影も一緒に躍っていることに気付き、孤独からも解放された岩手は純粋に笑うのだ。
能の演目ではシテの舞いの場面があり、歌舞伎では主人公が披露する舞踊の場面がある。『黒塚』の現代版である木ノ下歌舞伎では、月明かりの下で岩手が自分の影と踊る場面が舞いや舞踏の部分に当る。振り付け家の白神ももこが手がけたこのダンス場面は非常に印象的で、何よりもまず女性であり、鬼になったとしても心の奥底で希望を捨てていない岩手の心情をよく表している。そのため約束を破った山伏たちに裏切られた彼女が、どれだけ傷つき、どれほど怒りを感じたかがより切実に伝わる。このように舞いや舞踊の代わりに現代ダンスを入れることで、現代版の『黒塚』は古典版の構造を保つことになる。
この現代版は、古典の『黒塚』の上演歴史や安達原に住む鬼婆にまつわる物語の徹底的な研究の上に成立した。また私たち現代人が忘れかけた、古典の世界で機能している「記号」を分かりやすく読み解いて表現している。例えば人目につかない糸車が、本当は仏教の輪廻観を連想させる強力なシンボルであることや、月の光が仏教の教えを象徴することなどは、能や歌舞伎の『黒塚』が作られた時代の観客にとっては一般常識だったが、私たちにとってはそうでもない。現代版『黒塚』はこのようなシンボルに注目し、古典の言葉と現代口語のバランスにこだわりながら、記号の内容が観客に伝わるよう力を尽くしている。言葉のレベルと同じように、演技の面でも歌舞伎舞踊に見られる身体表現と現代ダンスを交互に作用させ、現代人が求める動きの速度とリズムを生じさせている。
木ノ下歌舞伎が目指す「古典の現代化」は、必然的に「現代」とは何かという問題に行き着く。世代ごとに影響を受けた文化等は異なるのだから、私たちはそれぞれ違う「現代」を体験している。伝統芸能の世界を身近に感じている人もいれば、その世界にめったに触れることなく育つ人もいる。古典を「更新」すると言ってもひと筋縄ではいかないのである。木ノ下歌舞伎の作品は、伝統芸能に親しんでいる人と、それに親しむ機会があまりない人たちの間の掛け橋のような存在だ。この演劇ユニットが手がける演目は、伝統文化と現代文化が互いにそれぞれの世界観を伝え合うメディアになっている。木ノ下歌舞伎には今後も注目である。
ラモーナ ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■