金井純さんの『親御さんのための読書講座』『No.038 ハッピーノート 草野たき著』をアップしましたぁ。金井さんは厳しいことを書いておられますなぁ。「児童文学というのは、何のためにあるのか。・・・その「何か」を明確に名指しできない以上、親は子供のために、目に見える果実を採ってやることしかできはしない。・・・結局のところ、与えるしかないのだ。教育ほど矛盾に満ち、難しいものはない。・・・『ハッピーノート』は、極めて知的な親ならば、子供に与える理由を見出せないだろう書物だ」と批評しておられます。もちろん『ハッピーノート』が駄作だとおっしゃっているわけではありません。ごく普通のビルディングス・ロマン(成長物語)だといふことです。
ギリシャ(だったと思いますが)の格言に「知っていることは教える必要がない。知らないことは教えられない」といふのがあります。教育は要するに、学ぶ姿勢だといふことです。学習能力があるなら、人はどんなモノ・コトからでも何かを学ぶことができます。子供だけぢゃなく大人も同じです。大人に対して親身な注意やアドバイスをするのは相当な好意の表れです。しかし他者の言葉から自発的に学習できなければそれまで。仏の顔も三度までとはよく言ったもので、不肖・石川は三度くらいきつくアドバイスして改善点が見られなければ、黙ってその作家を見切ります。自分で悩み考えて、ちゃんとお話できるようになったらまた話しませうといふ感じですねぇ(爆)。
子供だろうと大人であろうと、人間関係(つまり社会)など似たようなものです。どこまで行っても自分の思い通りにはならない。たいていの作家は自分の仕事のことで手一杯です。ある種の自閉症的露出狂になりがちなんですね(爆)。そんな作家の中から光る才能を見出すのが編集者の仕事ですが、正直うんざりすることが多々あります。文学は人文学の一種で人間についての学問の一つです。ゾシマ長老は「人間は人類を愛しながら隣人を憎んでいる」と言いましたが、隣人に興味のない作家がよい作品を書けるはずがない。またそういった作家が漠然と人類(読者)について語っても、多分誰の心にも届かないと思います。石川は普通の編集者なら黙っていることをたくさん書きますが、本当は自分のことにしか興味のない作家には石川だって興味がないのでありまふ。
■ 金井純 『親御さんのための読書講座』『No.038 ハッピーノート 草野たき著』 ■