高島秋穂さんの詩誌時評『No.004 角川短歌 2014年07月号』をアップしましたぁ。高嶋さんは「短歌界は俳句界に比べてとてもリベラルだと思います。・・・メディアが誰にとっても公平であることなどあり得ないのですが、短歌メディアは比較的中立的に短歌の世界を概観しているように感じます」と書いておられます。そうかもしれませんねぇ。高嶋さんは俳句、自由詩、短歌という三つの詩のジャンルの特徴について書いておられますので、そりをちょいとまとめてみませう。
高嶋さんは、「俳壇が一般日本社会と同様の、役職・肩書きと年功序列に沿って動いているのは衆知の事実です。詩の世界の圧倒的マジョリティを占める俳壇は、日本社会の写し絵であるわけです」と書いておられます。次に自由詩ですが、「自由詩は、一種のアウトロー世界です。形式・内容的に一切の制約がない自由詩の世界では、詩人は自分独自の詩の形式・内容表現を作り上げなければなりません。そのため・・・詩人同士に深いつながりはありません。・・・個々の詩人の仕事を検証することで、初めて〝自由(詩)〟という概念が朧に把握できる」といふことになります。
高嶋さんによると、自由詩人たちはその表現の核心である〝自由〟の共通パラダイムとして、戦後詩(「どんな思想・観念にも左右されない孤立した実存」)、現代詩(「新たな言語表現を求める指向」)を措定してきた。しかし現在、自由詩の世界に共通パラダイムは存在しません。高嶋さんは、「自由の概念・・・を新たに模索せざるを得ないところに、逆接的ですが自由詩が現代でも存続している理由があります」と論じておられます。
では短歌はどういふ役割を担っているのか。文学界全体に浸透しているとは言えませんが、現在、短歌界はけっこう混沌としています。高嶋さんは、「短歌の形式的制約は、俳句に比べれば非常に緩い。季語を必要としないのはもちろん、ベテランから若手まで、ふんわりと五七五七七の定型を念頭に置きながら、いわゆる破調の自由律風短歌を平然と作っています。・・・そのような混沌とした状況が、短歌文学の存続理由を示唆しているのではないかと思います」と書いておられます。歌壇での口語短歌の隆盛を念頭に置いておられるやうです。
小説界と同様、詩の世界も停滞気味ですが、この停滞から抜け出すためには、各ジャンルの中に逼塞しているだけではダメなやうな気がします。詩をジャンル別にではなく総体的に捉える必要があるでせうね。でも皆さんお忙しひ。文学金魚の詩誌時評なんぞを参考にして、お隣のジャンルで今何が起こっているのかをチェキラしてくださいませぇ(爆)。
■ 高島秋穂 詩誌時評 『No.004 角川短歌 2014年07月号』 ■