山際恭子さんのTVドラマ批評『No.073 出入禁止の女』をアップしましたぁ。観月ありささん主演で財前直見、小林稔侍さんらが出演されているテレビ朝日さんの木曜ドラマです。今回の山際さんのコンテンツは上質のエセーになっています。観月さんを見ていると、六本木のキャンティを思い出す、と。1960年代に加賀まりこさんらが通っていた伝説的なイタリアン・レストランです。山際さんは「別にキャンティでなくてもいい」と書いておられますが、なぜキャンティを思い出すのかと言えば、それが〝かつての〟特権的な場所だからです。
しかしかつての特権的な場所は失われつつあります。山際さんは「観月ありさはもちろん素晴らしいスタイルで、たまたま六本木の街角に立っていたりすると・・・特権的でも特権性でも、ましてや特権意識でもなく、特権そのものという感じがする。そういう彼女を持ってきて「出入禁止」とするとは・・・デキンを喰らう、ということが特権なのである。それは特権に憧れたり、その特権性を無条件に信じたりすることへの異論であり、幻想の破壊者となることである」と批評しておられます。『出入禁止の女』は特権的な場所から閉め出されることの特権を描いているわけです。
山際さんは「六本木やキャンティといったリアル・スペースだけではない。たとえば文壇とか詩壇とか、政界とかに対する幻想も日々、失われつつあるのではないか」とも書いておられます。平和な時代が長く続くと、社会は制度化されて徐々に疲弊してゆきます。例えば詩壇・文壇で頭角を現すには、そこでのローカルルールを飲みこむのが一番の近道です。しかし漠然としたものであれ作家が当初抱いていた、例えば「夏目漱石になるぞぉ」、「松本清張のやうな作家になるぞぉ」といふ目標は、詩壇・文壇ルールを軽々と超えられる力の持ち主でないと実現できません。たいていの創作者は詩壇・文壇作家で終わってしまふのです。
もちろん詩壇・文壇といふ強大で堅牢なシステムは厳然として存在します。またなんらかの形で存在してもらわないと色々と不都合です(爆)。でも既存制度はその内部から効果的な変革を起こしていくのが難しい。力があると確信している作家は、若くて10年我慢してお付き合いする時間的余裕があるなら既存の詩壇・文壇に参入しても良いでせうね。だけんど「時間ないよ」と思ったら〝デキン〟の道を選択しても良いかと思います。ほんぢゃ〝デキン〟の作家たちが活躍する場はどこにあるのか。〝デキン〟の特権は他者を頼らない圧倒的強さを持っているといふことですから、自分で作り市場を開拓すれば良いのです。そこは甘えちゃいけません(爆)。
■ 山際恭子 TVドラマ批評『No.073 出入禁止の女』 ■