まず巻頭エッセイ。そして(ここでしかめったに見かけることのない)作家の小説が二本。そして「山川方夫、田久保英夫、桂芳久」という特集である。彼らの著作物の再録その他。それから織田作之助青春賞の発表。これもあまりというか、失礼だが聞いたことのない選考委員の選評、よく見ると、うち一人が先の小説作品の作者の一人である。
これも大変失礼だが、存じ上げない方々の追悼があり、詩人かどうかは知らないけれど誰かの詩作品のタイトルは全部かな文字だから、とりあえず目立つ。そして文化と科学のジャンルそれぞれからエッセイ三本。書評については、文学・文芸というより思想的や哲学、科学的なものを主に並べ、したがって文芸誌としての好みや偏りはきれいに抜け落ちている。
一方で連載は、文学史もしくは歴史的なものにかためられているが、執筆者に三田文学の編集OBを当然のごとく配するには、何となく収まりがよいのである。三田文学にとって歴史とは、三田文学の歴史なのである、と開き直る権利はあると言われればその通りだ。皆、めったにやらないだけで。
それから同人雑誌評。これがあることでわかることは、三田文学は同人誌ではない、ということだ。俳句と短歌それぞれについてエッセイを加えたり、ジャーナリスティックな香辛料もちょっと振りかけたり、それでいて出自を思い出したりと、もぐら叩きのように忙しそうな様子からも、確かに同人誌ではなさそうだ。
それでその、普通一般の雑誌とは何かを思い起こさせる点が、三田文学の面白いところだ。雑誌とはつまり、紙の束だ。三田文学は確かにそれを確認させてくれるという点で、原理主義と言うよりは実存主義的である、と言える。人間は水分とタンパク質でできている、というような意味で。
この、雑誌とは紙の束だったんだ、という確認によって、三田文学はそのたたずまいとは裏腹に、文学主義的な概念の空虚さを浮き彫りにしてみせてくれている。我々は普段はその空虚さを、何となく見知った名前、すなわち文学主義の代理人や代表者の存在で埋めているだけなのだ。
ワークショップとして、我々は四田文学や五田文学を作ることもできる。いくつかの文芸誌を集め、前述のような文芸誌的タイトル、コーナーの見出しを並べて目次を作る。特集はあまり聞いたことのない作家の名前を数人、それこそ束にするのがミソである。
それから各記事の著者の名前は架空の、すなわちまったく聞いたことのない名前に置き換えると、文学的アトモスフィアを払った後の雑誌の光景がみえる。それは紙の束である。文学状況に疎い一般の目には、今でもそのように映っているはずのものだ。
何もかもが虚しい、などと言っているわけではない。紙の束の充実感、それこそが文学の未来を支える可能性がある。あるいは、いったんはそこまで引き戻さなくては、もはやどうしようもないかもしれないのだ。
池田浩
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■