三田文學さんは編集委員による合議制を取っている。編集委員議事録のようなものが掲載されたりするのでそれがわかる。簡単に言うと発行人も編集人もいらっしゃるが取りまとめ役といったところ。編集委員の先生方が一定ページを担当する分担制で、それぞれが興味のあるテーマ、作家の作品などを掲載しているようだ。こういった編集方針を取ると雑誌の性格(主張)が曖昧になりがちだが公平性という意味では大変いいことだと思う。
今号巻末には「『三田文學』創刊100巻820号記念賛助金ご協力のお願い」という文章があり「賛助金寄附者御芳名」が掲載されている。寄付金集めの目的は「近年日本の大学をめぐる状況は極めて厳しく、大学を基盤とした『三田文學』の運営も困難な局面を迎えつつあります。そこで私たちは(中略)来るべき時代における文芸誌の責務を果たすべく、十分な運営資金を積み上げていかねばならない」からとある。冒頭には「『三田文學』は1910年の創刊以来、数度の休刊を経ながらも、慶應義塾を母体とした文芸における社会の公器として先駆的な創作の発信を続け・・・」云々とも書かれている。三田文學が在校生と卒業生(校友)を優遇しながら可能な限り三田村以外の作家にも目配りしてきたのは確かである。
ただ文学といえども人間のやることである。寄付金は浄財だがそうは言っても多額の寄付をしてくださった人や団体を優遇する(せざるを得ない)こともあるだろう。実際、財力を力に文学の世界にのしていったお方も三田村にはいらしたような。でもま、人間の評価、功罪入り混じりますわな。そんな俗世の力に屈しないためにも共同編集方針は有効だろう。今後はぜひエス様臭さも払拭して三田文學さんにはニュートラルな共同編集方針を貫いていただきたい。
オクサナ・オスモロフスカ
2022年3月15日
祝福されし使徒聖ユダ・タダイよ
ウクライナの空を覆いたまえ
聖母マリアよ
ウクライナの空を覆いたまえ
いと慈悲深き聖なる神よ
ウクライナの空を覆いたまえ
空はひとつ
あなた方は大勢
しかも全能と言われている
空襲警報だ
皆は直ちにシェルターへ
私はランプに近づく
そしてそれを厚手の布で覆う
だって近くにはシェルターなどないから
私にできることは灯火管制くらい
私が生きている限り有効よ
ランプはひとつ
私はひとり
誰も私が全能だとは言わない
でも私はせっせと忌々しいランプを手に取って覆う
もう誰からも頼まれていないとしても
空は本のように開かれている
下ろし立てのノートに
徐々に変わりつつある
マリウーポリ市の電話帳のように
(「2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻以降に書かれた詩」[訳]原田義也より)
三田文學にはかなり自由詩が掲載される。短歌・俳句よりも優遇されているようだ。ただ今まで詩は取り上げていない。理由は申しわけないが面白くないから。文学全般元気がないが、短歌や俳句と比べても自由詩の低調さは目立つ。ならば文芸誌を最も華やかにしてくれる可能性のある小説の方が批評しがいがあると思ったのだった。
しかし今号掲載の「ウクライナからの声 2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻以降に書かれた詩」原田義也さん訳は面白かった。面白いと書いただけで不謹慎のそしりを受けるだろうけど。東日本大震災を題材にした詩などは批評しにくい。現実の悲惨が目に浮かんでしまうからだ。ウクライナ詩もアンタッチャブルだろうがあえて言えば多くの東日本大震災関連の詩と同じくたいして優れた詩ではない。しかしつくづく「書くことがあるということは強いな」と思った。「祝福されし使徒聖ユダ・タダイよ/ウクライナの空を覆いたまえ」という冒頭の詩行は心に響く。
「2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻以降に書かれた詩」は日本の戦後詩に似ている(メイン・チャイナとの関係が切迫している台湾詩も同様)。終戦後から一九六〇年代中頃にかけて日本では名作と呼ばれる戦後詩が書かれた。苦しく矛盾に満ちた戦中戦後を体験した人々の心に強く訴えかける詩だった。しかしその後戦後詩はどうなっていったか。
大変言いにくいがかつて優れた戦後詩を書いた詩人の作品レベルはどんどん下がっていった。世の中が落ち着きを取り戻し人々の興味が拡散し始めた一九七〇年代以降――吉本隆明の用語で言えば「修辞的現在」以降――に、かつての戦後詩のような力強い作品を書き残せた詩人はほんの一握りである。
一定の力は必要だが時代状況が詩人に名作を書かせることはある。しかしそれが僥倖と偶然の賜物だったのか実力だったのかはいずれわかる。詩人個々の力量は湧き立つような社会情勢のない平時に最も厳しく残酷に試される。
搭乗機の下にはまだ氷がこびりついていた
ガラス越しにだとそれは北極の海に浮かぶ流氷のように見えた
到着したばかりの虚ろな乗客たちが
ガラスの表面を音もなく斜め下に滑っていった
そのままマッ黒ィ波間に投げ出されても声ひとつあげずに
黙々と列をなして歩き続ける 手荷物だけを連れて
出発地時刻と現地時刻のはざまの煉獄を
矢印と光に導かれるまま
四元康祐「トランジット @HEL」
今号の巻頭詩は四元康祐さんの「トランジット @HEL」。詩は難しいと思われているが読み方がわかればそうでもない。「トランジット @HEL」では「到着したばかりの虚ろな乗客たちが/ガラスの表面を音もなく斜め下に滑っていった」までが叙景である。トランジットのために飛行機を降りる乗客の姿が描かれている。「そのままマッ黒ィ波間に投げ出されても声ひとつあげずに」以下が作家の心象になる。
不気味な真っ黒い波間に投げ出されても乗客たちが「黙々と列をなして歩き続ける 手荷物だけを連れて」とあるのは、彼らが歩く以外の目的を持たないからである。手荷物を放さないのは自分(私性)しか拠り所がないから。外部(他者の思想や社会状況)には頼れないということだ。それは「煉獄」だと作家に認識されている。最終行の「矢印と光に導かれるまま」は叙景に戻っているだろう。ではトランジットで立ち寄った空港の矢印と光は再び喩に転化して、私を、乗客たちを天国に導くのか地獄に誘うのか。
おれはガラスの手前に立っていた
いつだってそうなのだ 生まれて来てからこの方
おれはずっとガラスの手前に立っている
昼間は景色が見えるが夜になると虚ろな自分が浮かびあがった
そこがどこであれ「ここ」は常にガラスの前なのだった
おれは今氷の海を漂う俺の姿を眺めている
同
二連目で作品テーマがはっきりする。作家(おれ)はガラスの「手前」に立っている。「生まれて来てからこの方」そうで、目の前のガラスを通り抜けることができない。昼間は世界の様々がガラスに写る。夜には「虚ろな自分が浮かびあが」る。昼間ガラスに写る華やかな世界は虚妄で虚ろな自分が本質だということだ。おれは自己の空虚が満たされなければガラスの向こうに行くことができない。「おれは今氷の海を漂う俺の姿を眺めている」はもちろん反語。おれは今もガラスの前にいる。
作者は現実に飛行機を乗り継いで旅をしているのだろう。しかし世界中を飛び回っても、どんなに遠く珍しい場所に行っても作者が望む世界には行けない。新たな世界を得られない。その苛立ちが作品テーマである。詩を書き終えるまでに苛立ちの原因をどこまで探求できるのか、抜け道を見出せるのかがこの作品の正念場になる。
i
指は黙って 鍵盤に留まっている
とてもつめたい
こころには瀑布が落ちているのに
氷のうえを滑り歩く 黄いろい脚は
なんておくびょうなのだろう
パピヨンの翅が しぶきに濡れている
瀑布のうちがわでふくらむ水の 湾曲を感じている
滝壺の瑠璃いろをみて 脚がひるみ
透けてみえるむこうの光
ひびわれた楽章の 金継ぎの曲線を
うつくしいとおもいながらパピヨン
小節線を渡れ
北原千代「トッカータ 渡る指」
もう一篇、北原千代さんの「トッカータ 渡る指」が掲載されている。四元さんの詩に比べるとだいぶ現代詩的レトリックが使われている。しかし難解ではない。言葉は必ず意味を伝達する。詩はほとんどの場合意味とイメージの連鎖から書かれている。
「指は黙って 鍵盤に留まっている」の冒頭行で、この詩が音楽を題材にしているのがわかる。動いていないので指は「とてもつめたい」。そこからは作家の心象描写。いずれ指は動き鍵盤を叩いて音楽が流れるわけだから、冷たいが滑らかな指の動きが「瀑布」「氷」のイメージへと連鎖して水の飛沫が蝶のイメージに転化する。
二連目の「パピヨンの翅が しぶきに濡れている」は音楽が鳴り始めたことを示唆している。「ふくらむ水」「湾曲」は音楽(トッカータ)の喩的表現である。
三連目でなぜおずおずと音楽が鳴り、なぜ蝶(パピヨン)が言語的に呼ばれた(出現した)のかが明らかになる。「むこう」には「光」がある。あるはずだ。しかしそれは「ひびわれた楽章の 金継ぎの曲線」であり救済でも終着点の光でもない。それがわかっていながら作家は「うつくしいとおもいながらパピヨン/小節線を渡れ」と命じる。音楽という感覚の上を飛ぶパピヨンがかりそめの救済をもたらすということである。
つまり作家はヒビ割れてツギハギだらけの世界に蝶を飛ばしてそれを強引に「うつくしい」と認識しようとしている。実際 i から iv までの四ブロックで構成される作品は「あけがた指がひらく そして/一輪の野草の内部にある庭にまいにち生まれなおす歓喜の/歌が思いだされる」で終わる。歓喜の歌は現在形ではなく思い出の中だ。また歓喜と再生と朝を並列させるのは平凡だがとにもかくにも世界は肯定された。
四元さんの詩も北原さんの詩も作家の私性が拠り所である。前者は世界に食い込めない苛立ちを表現し、後者は世界の醜さや不合理を知りながら作家の魂の喩となった蝶が音楽に乗ってそれを強引に肯定しようとする。しかしお二人が抱える問題は解決されていない。足掻いておられることはわかる。が、プレリュード的作品ではないか。
「わかる人だけでわいわいやってるから、詩は売れないんじゃないの。高尚ぶって、平安貴族みたい」
当時これに何と返したのかもう覚えていないが、たぶん言い負けたに違いない。(中略)
でも、もし当時に帰れるなら、こう言ってみたい。
「それが実は、白状するけど、詩人を名乗るわたしだって多くの詩を理解できてないんだよ。たまにすごくぴんとくる作品があるだけなの。でも、それを見つける楽しみはなかなかだよ。それに、売れないことは認めざるを得ないけど、誰にでもわかるものだけでは、ときめけないことってない?わたしだけのあなた、がいてほしいみたいに」
暁方ミセイ「リレーエッセー 詩から明日へ 「詩が読めるということは」」
今号には新連載リレーエッセー「詩から明日へ」が設けられていて暁方ミセイさんが萩原朔太郎の詩を題材に「詩が読めるということは」を書いておられる。エッセイを読むと暁方さんは去年精神疾患を患われたそうで物言いにくい。
とはいえ文芸批評である。そこを押して思いきって書くと、感覚的に詩を書き感覚的に詩を読み感覚的に自分に合う詩を見つけるのが詩の醍醐味という考え方には賛同できない。わからない詩というのは意味とイメージから読み解けはするがそれでもすべて読解(言語化)できない詩のことである。作為的に難しく書かれた詩の方がむしろ簡単に読み解ける。作家がレトリックを多用して何も書くことがないのを隠蔽しているからだ。そういう詩が増えている。
またどの世界でもプロは素人には及びもつかない高い能力を持っている者のことである。それがプロの絶対条件。小説でも画家でもお笑い、大工などの職人でも同じこと。プロ詩人が詩の書き方読み方について尋ねられたら話すことはいくらでもあるはずだ。コイツはうんざりするほど、膨大な無駄と思えるほどの知識と経験を有していると分かったら、詩に興味のない人でも「なるほど君はプロだ、頑張って」と言うだろう。
詩が売れないことなど気にしない方がいい。現代作家が好き勝手をやる芸術はそもそも時給がもらえる労働ではない。同時代の精神状況に深く食い込みこれで良いのだという手ごたえを得て初めて芸術は作家にとっての日々の労働になる。まずそういった手ごたえある作品を書くのが先だろう。また芸術家は作品を作るのが一番楽しく、そうしなければ生きていけない人種じゃないのでしょうか。もちろん芸術家が芸術で飯が食えればとても幸せでしょうけど。
たまたま今号に掲載されたお三人の作品やエッセイを題材にしたが、限られた誌面に掲載するために編集委員の先生が選りすぐった多分今を代表する詩人さんたちなのだろう。しかし理念でも実生活面でも苦労なさっているようだ。当面苦しい時代は続くかもしれない。知恵を絞り努力を重ねてなんとか抜け出していただきたい。
池田浩
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■