鶴山裕司さんの連載エセー『続続・言葉と骨董』『第029回 大福文字の瀬戸石皿』をアップしましたぁ。お皿の真ん中に「大福」と書かれた瀬戸の石皿を取り上げておられます。鶴山さんは、「大福というとすぐに大福餅を思い浮かべてしまうが、大福餅を山盛りに積み上げるために作られた皿ではない。大福はBig Happinessの意味である」と書いておられます。お正月らしく目出度くていいなぁ。瀬戸の石皿は庶民が生活道具として使った陶器の大皿で、不肖・石川も図録を一冊持っていますが、文字だけ書かれた作品は珍しいと思います。
石皿は柳宗悦が雑誌「民藝」などで取り上げて有名になりました。柳さんと民芸の関係について鶴山さんは、「柳が民衆芸術に注目した時期、石皿などの陶磁器などはまだ現役で使われていた。柳はそれらを〝道具〟としてではなく客観的な〝物〟として、もっと突っ込んで言えば無心の美を発散する美術品として見た。柳と庶民の目の間の格差がそれを可能にしたのである。露骨な言い方をすれば、柳が貴族階級に属していたからこそ、彼には民衆芸術の美が見えたのである」と論じておられます。その通りでしょうね。また柳さんの美を発見する目は極めて正確でした。
鶴山さんは、「新たな何事かが見出される時には、その背後に必ず優れた人間の精神(目)が存在している。柳以降、民芸は美術の一ジャンルを形成することになるが、「これは柳宗悦が日本で最も美しい焼物だと称した石皿で」などと言い出すと民芸の精神は濁る。・・・精神を理解していなければ柳宗悦の民芸は、つまらない日用雑器をいわくありげな骨董に変えたい人のための、薄っぺらな権威指標に堕落してしまう」とも書いておられます。これもその通りだなぁ。
不肖・石川が覗いてみた骨董の世界は、正直に言えば贋作と権威主義的な骨董好きの吹き溜まりのやうなところがありまふ(爆)。「柳さんが素晴らしいと言った石皿だから僕の持っている石皿も素晴らしいんだ」などと真顔で言ふ人がまぢ存在しているんですね。石川は骨董初心者ですからおとなしくしていますが、鶴山さんに「くっだらねぇ」と言ってもらうと、あ、やっぱりぃと思って安心できますぅ(爆)。
■ 鶴山裕司 連載エセー『続続・言葉と骨董』『第029回 大福文字の瀬戸石皿』 ■