小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『第01回 序文/君は軍曹/そのサメはビートルズのファンだった/小さじ一杯の答え』をアップしましたぁ。第1回辻原登奨励小説賞受賞作『切れ端に書く』の作者、小松剛生さんの新連載小説です。毎月24日連載なのですが、とってもクリスマスのプレゼントっぽい感じがする作品だなぁ。小松さん、けっこう僕はダメダメですぅ的なことをお書きになるのがお好きなのですが(爆)、本質的に明るくて前向きな印象を与える作品になるから不思議です。
『序文』にあるように、『僕が詩人になれない108の理由・・・』は『考えてみれば詩人とそうでない人との違いがいまいちよくわからない。(中略)困った。(中略)僕は考えてみて、考えてばかりいても仕方がないので、自分の思う「詩人」とやらを書いてみることに決めた』といふテーマ(足がかり)のある作品です。不肖・石川、文学金魚で書いておられる詩人さんに小松さんの作品についておたずねしてみたところ、『詩人がどうこうという問題ではなく、小松さんが才能ある小説家であることが重要。それは『切れ端に書く』を読んでも新連載作品を読んでもはっきりわかります』といふお返事をいただきました。嬉しいなぁ。
ショートショート小説界は、ポスト・星新一世代になって〝すべらない話〟化しているやうなところがあります。オチ至上主義ですね。星さんは戦後の作家であり、高度経済成長時代に社会が鉄腕アトム的な科学技術発展の夢を抱いた時代の作家です。星作品はSFショートショートとしても捉えることができる。だから未来のバラ色の夢を皮肉るような星作品の強烈なオチが、多くの読者の心を捉えた面があります。しかしそのような時代は終わってしまった。オチだけぢゃダメかしら、ダメよ~ダメダメになってしまったんですね(爆)。
小松さんのショートショート小説は、もちろんオチ至上主義作品とは違います。フラグメンツが散りばめられ、それによって中心となるテーマが浮かび上がるような連作作品だと思います。またもはや短い一つの作品の結末で、何事かを明らかにはできない時代であることを示している作品であるような気もします。何かを明らかにするために一定レベル以上の作品を書き続けるという姿勢は、多分現代的に正しい道筋です。