ラモーナ・ツァラヌさんの連載エセー『交差する物語』『No.008 二つの世界を結びつける音楽-『故郷のバラード』』をアップしましたぁ。ラモーナさんの故郷、ルーマニアのスチャバ県出身の作曲家チプリアン・ポルムベスクについて書いておられます。共産主義時代のルーマニア国歌は『三色』でポルムベスク作曲ですが、歌詞は共産主義イデオロギーを強く感じさせるものでした。
ラモーナさんは、『元々の純粋で詩的な歌詞が、共産主義を讃美する政治的な歌詞になっていたことに気付いた時、鳥肌が立った。メロディーがきれいな歌なら、子どもは何を歌っているかは意識せずにただ歌うのだとその際に痛感した』と書いておられます。日本のように狂信的国粋主義時代を経験していると、人ごとではなひなぁ。詩人の飯島耕一さんは断固たる反戦・反軍国主義者でしたが、歩道橋を渡っている時に「海ゆかば」を口ずさんでいることに気づいて愕然としたと書いておられます(爆)。
ポルムベスクの曲で一番有名なのは『バラーダ』という作品です。ラモーナさんが高校生の時に、日本人バイオリニストの天満敦子さんがスチャヴァ市で『バラーダ』をメインとする演奏会を開催されたそうです。天満さんの『バラーダ』収録のCDはクラッシックとしては異例のヒット作となったもので、ラモーナさんがエセー冒頭で触れておられる髙樹のぶ子さんの『百年の預言』という小説も、このCDにインスパイアされて書かれたのでした。
『聴き慣れた旋律なのに、いつもより深くて切ない響きがあって、人生で初めてその曲を聴いている気がした。途中で、奏者が立つ舞台の光景が見えなくなり、音楽だけが流れ続け、その音楽が描く世界に吸い込まれるような感覚を味わった。・・・その夜初めて、音楽にはすさまじい力があると実感した。感情でできた風景が音に記号化され、その形で異なる文化の背景を持つ人にも伝わるし、魔法のように、言葉以上(または以前)のものを語るのだと、帰り道で考えた』とラモーナさんはお書きになっています。
『感情でできた風景が音に記号化され』るのは能も同じですね。能では音だけでなく舞があるわけですが、原理としては同じような抽象化が起こっています。以前、ラモーナさんの文章には森の気配があるような気がすると書きましたが、静寂の中にある旋律を聴き取るやうな感性をお持ちのようです。もしかしたらまぢドラキュラの子孫なのかも(爆)。エセーといふ書きものは、書き手の内面まで見えてくるから面白いのでありますぅ。
■ ラモーナ・ツァラヌ 連載エセー 『交差する物語』『No.008 二つの世界を結びつける音楽-『故郷のバラード』』 ■