鶴山裕司さんの連載エセー『続続・言葉と骨董』『第026回 茶陶唐津』をアップしましたぁ。古唐津論連投であります。今回は茶陶唐津をテーマに書いておられます。お茶の世界では「一楽二萩三唐津」という言い方があり、それゆえ唐津焼は茶陶というイメージがあるのですが、鶴山さんは唐津窯は必ずしも茶陶窯ではなかったと述べておられます。不肖・石川が図版や骨董屋さんで見聞している感じから言っても、唐津窯では確かに大量の生活雑器を焼いています。茶陶よりも雑器の方が圧倒的に多い。もちろん茶陶も作っているわけですが、それをどういう系統に分類して考えるべきなのかといふのが鶴山さんの論旨です。
唐津焼きには奥高麗と呼ばれる抹茶碗の名品があるのですが、鶴山さんは『奥高麗は・・・注文主である室町幕府高官の没落とともにその火はいったん消えて、桃山末に渡来した朝鮮人陶工によって新たに古唐津窯が開窯されたのではなかろうか。奥高麗と桃山唐津ではその作行きがまったくと言っていいほど異なるのである。奥高麗と桃山開窯の古唐津は、同じ唐津でも系統が異なる焼物だと考えた方が良いと思う』と書いておられます。室町時代後期に作られた奥高麗と桃山末期に開窯した古唐津の作風を比較すれば、そういふ推測が成り立つと思います。
また鶴山さんは、唐津窯には抹茶碗よりも、水指、花入れ、壺、向付などの茶道具の注文が多かったのではないかと推測しておられます。桃山時代の茶陶を主導したのは古田織部ですが、鶴山さんは『器体の歪みと斬新な模様が施された古唐津は意外なほど少ない。・・・唐津が都から離れているため指導が行き届かなかったのだとは言えないように思う。織部は唐津焼で抹茶碗を作ることに、あまり魅力を感じていなかったのではあるまいか』と書いておられます。
骨董はお話をしてくれず、また古田織部関連の資料は歴史から抹殺されているので、鶴山さんの推論を完全証明するのはなかなか難しいと思います。しかしこの方の論理的で的確な審美眼に基づく推論(直観)はとても面白い。骨董論でも文芸批評でもズバリと本質を射貫こうとする、勇気ある力強い文章をお書きになる方だと思いまふ。
■ 鶴山裕司 連載エセー『続続・言葉と骨董』『第026回 茶陶唐津』 ■