北村匡平さんの映画批評『創造的映画のポイエティーク』『No.008 アニメーションの身体と瞬間性の美学―ディズニー映画『アナと雪の女王』』をアップしましたぁ。邦画・洋画、実写・アニメを含めて今年最大のヒット作であるディズニーの『アナと雪の女王』を取り上げておられます。〝アナ雪〟現象と言われるのも決して誇張ではなく、不肖・石川は電車の中や通学・下校中に、小学生から高校生くらいの女子が〝ありのままで~〟を歌っているのを何度も目撃いたしました。
北村さんはまず、荻上チキさんとアリエル・ドルフマン&アルマン・マトゥラールの『ドナルド・ダックを読む』援用して『アナ雪』を読み解いておられます。荻上さんは『アナ雪』が、王子様によってプリンセスが救われるといったクリシェを回避して女性の主体性を際立たせた映画であり、新しいディズニー映画の文法を提示した作品だと読み解いておられる。『ドナルド・ダックを読む』はマルクス主義的名著ですが、ディズニー映画には原材料と消費しかなく、周到に労働が排除されていると批判しています。しかし『アナ雪』は氷を切り出す労働者の姿から始まっており、ここでも従来の文法は覆されているわけです。
しかしもちろんそこで終わらないのが北村さんの映画批評であります。北村さんは、『このような物語の「構成」と「読解」からは、映画館やテレビの前でこのアニメーションに狂喜する子供たちの姿が排除されているのだ。・・・アニメーション(animation)という言葉には、アニメ製作という意味以外に「生気(を与えること)」という意味もあったはずだ。僕は、大人の視点からの高尚な読解に触れ、まさに「いきいきした気力」=「生気」を失ったのだと思う。スクリーンの中で美しく可愛らしい登場人物たちが、ただ動いていること、その当たり前だが、決定的に重要なアニメの原理とも呼べる身体の瞬間的な運動に宿る〈魔術〉をどこかで喪いたくないと思ったのかもしれない』と書いておられます。
ここから北村さんは絵の動きに沿って『アナ雪』を読み解いておられます。姉にうとまれていると思っている幼いアナの所作の意味、姉エルサが氷の女王になるときに、どのような動き=絵が生じているのかといふことです。また魅力的なキャラクターでありながら、なにか不思議でちょっとした異和さえ感じさせる雪だるまのオラフが、どのような役割を担っているのかといったことです。北村さんが読み解いたのは見る人の深層心理にスリップされる絵の思想であり、それこそがアニメーション作品の魅力を構成しているのではなひでせうか。
北村さんのコンテンツを読んでいて、不肖・石川は〝好きこそものの上手なれ〟といふ諺を思い出しました。人は何かを好きになって小説や詩、批評を書き始めるのですが、生み出された作品を読めば、作家がどれほどそのジャンルが好きなのか、自ずからわかってしまふところがあります。青くさいことを言えば、小説家や詩人、批評家になるといふことは結果であって目的であってはならないわけです。北村さんの映画愛は本物だと思いますぅ。
■ 北村匡平 映画批評『創造的映画のポイエティーク』『No.008 アニメーションの身体と瞬間性の美学―ディズニー映画『アナと雪の女王』』 ■