鶴山裕司さんの『BOOKレビュー・詩書』『No.010 毬はどこへ跳ねてゆくのか-吉村毬子句集『手毬唄』』をアップしましたぁ。俳句同人誌『LOTUS』同人で、中村苑子さんのお弟子さんである吉村毬子さんの処女句集を取り上げておられます。吉村さんを含む『LOTUS』同人の皆様には、金魚詩壇 討議&インタビューの『No.001 俳壇ってなに?』でお世話になりました。改めでお礼申しあげます。
鶴山さんは吉村さんの句集を〝毬〟といふ言葉(テーマ)から読み解いておられます。『〝毬〟は変化をもたらし、その中で自足しながら閉じ、また調和をもたらす媒体として描かれている。句集『手毬唄』の言語は作品集の主張低音である毬に導かれるように、変化と閉塞、調和を行きつ戻りつする』と批評しておられます。このような批評方法は、俳壇ではなじまなひと申しますか、ほとんど理解されないでせうね~(爆)。
短歌・俳句・自由詩のいわゆる詩壇では、みんな仲良く遊びながら楽しくやろーぜが主流のやうでありまふ。どーせ詩なんて金になんない、結社の長になって苦労するのはまっぴらで、詩壇で御職を張ってもたかが知れてるぢゃん、ほんなら和気藹々楽しく過ごそうじゃないかってことでせうね。不肖・石川、まぢ大いにけっこうだと思いまふ。和気藹々派の皆さんは喧嘩せず、抜け駆けせず、足の引っ張り合いをせず初志貫徹してくらはい。作家は要は確信であります。作家が抱いている確信が強ければ、どんな文学的立場だっていつかは社会に受け入れられるのであります。石川は和気藹々派の皆さんの確信が本物なのかどうか、傍観するだけでありまふ。
ほんで鶴山さんの吉村さんの句集『手毬唄』評はちょいと厳しいですが、不肖・石川は好きです。鶴山さんが引用された句から5句セレクトしておきますですぅ。
毬つけば男しづかに倒れけり (深緋 こきひ)
水底のものらに抱かれ流し雛 (藍白 あゐじろ)
耳鳴りも海鳴りも脱ぎ蟲の世へ (深緋 こきひ)
唖蟬は夜の海へと膨らみぬ (濡羽色 ぬればいろ)
金襴緞子解くやうに河からあがる (藍白 あゐじろ)
■ 鶴山裕司 『BOOKレビュー・詩書』 『No.010 毬はどこへ跳ねてゆくのか-吉村毬子句集『手毬唄』』 ■