「あとがき」を読むと吉村氏の句歴は二十四年に及ぶそうだが、『手毬唄』は処女句集である。また句集栞に寄せた福田葉子氏の文章で、〝鞠子〟が吉村氏のペンネーム(俳号)であることを知った。中村苑子氏のお弟子さんで俳句同人誌『LOTUS』の同人である。『手毬唄』は六章構成の句集で、巻末に随筆「景色」が収録されている。内カバー表紙の〝毬〟の墨書は安井浩司氏の筆である。
毬落ちて水照りの天井揺れつづく (藍白 あゐじろ)
しづかに毬白き夏野に留まりけり (藍白 あゐじろ)
妹もゐる花降る刻の毬投げよ (深緋 こきひ)
毬つけば男しづかに倒れけり (深緋 こきひ)
毬の中で土の嗚咽を聴いてゐた (濡羽色 ぬればいろ)
さみしさや乳房に毬藻飼ふ時間 (薄紅 うすくれなゐ)
枯蓮の赭(そほ)に染まりゆく手毬 (天色 あまいろ)
水鳥の和音に還る手毬唄 (鳥の子色 とりのこいろ)
『手毬唄』の中に〝毬〟を含む作品は八句ある。「あとがき」によると「毬つけば男しづかに倒れけり」は師・中村苑子氏が句会で採った作品で、吉村氏の初期の作品のようだ。文学における作家の性別は単なる記号であると同時に、表現のための重要な基盤にもなり得る。「毬つけば」の句は、吉村氏がいわゆる〝女流俳人〟としてスタートすることを強く予感させる作品だったろう。しかしそうはならなかった。
「毬落ちて水照りの天井揺れつづく」、「毬の中で土の嗚咽を聴いてゐた」、「水鳥の和音に還る手毬唄」とあるように、〝毬〟は変化をもたらし、その中で自足しながら閉じ、また調和をもたらす媒体として描かれている。句集『手毬唄』の言語は作品集の主張低音である毬に導かれるように、変化と閉塞、調和を行きつ戻りつする。「さみしさや乳房に毬藻飼ふ時間」という句においても、その主体が作家とイコールになることはない。素直に乳房が毬藻となる寂しい女をイメージした方がいいだろう。
薊よ薊 過不足のなき夢よ (薄紅 うすくれなゐ)
東風祓ふあの赤その白かの人形 (薄紅 うすくれなゐ)
白萩の白を授かり生国よ (鳥の子色 とりのこいろ)
句集には「薊よ薊」、「 白萩の白」といった重複表現や、「あの赤その白かの人形」という畳み掛けるような表現が数多く含まれる。この作家はどこかへ行こうとしている。なんらかの表現地平へと抜けだそうとしている。重複や畳み掛け表現はその性急な指向と、作家の微かな苛立ちを伝えているように感じる。まだ〝その先〟があるはずなのである。
水底のものらに抱かれ流し雛 (藍白 あゐじろ)
耳鳴りも海鳴りも脱ぎ蟲の世へ (深緋 こきひ)
唖蟬は夜の海へと膨らみぬ (濡羽色 ぬればいろ)
この三句は句集の中では比較的素直な作品だと思う。しかしこのような作品にこそ作家の資質が最も良く表れているだろう。抱かれること、脱ぐこと、膨らむことがこの三句の主題である。ならばもっと未知の世界へと流れ流れてゆくのが良いのである。すべて脱ぎ捨てて、無音の蟲の蠢きの中に没入すれば良いのである。世界と同じくらい、暗く大きななにものかに膨らんでしまうのが良い。
少し厳しいことを書けば、句集『手毬唄』の表現は生硬である。長いキャリアを持ちながら、ようやく最初の句集を上梓した作家の緊張と気負いが反映されているのかもしれない。しかしこの一作で呪縛は解けるだろう。芭蕉は俳句は「こがねを打のべたるやうにありたし」と言ったが、伝統俳句であろうと前衛俳句であろうと、俳句は身体の一部になった言葉を使ってなめらかに流れ、するりと脱げ、無理なく膨らむのが良いのである。
金襴緞子解くやうに河からあがる (藍白 あゐじろ)
句集巻頭句である。比喩的に言えば句集『手毬唄』は、金襴緞子の言語を脱ぐこと自体を表現した作品集だと思う。ただこの一作で重く煌びやかな衣裳は作家の身体から離れたであろう。もう裸で勝負できるはずだ。それが俳人の身体であろうと、女流と呼ばれる作家の身体であろうと、〝俳句文学〟であればわたしたちはいっこうにかまわない。
鶴山裕司
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■