『金魚詩壇 討議&インタビュー』『No.004 【『安井浩司俳句評林全集』出版記念】俳句と批評について』をアップしましたぁ。安井浩司さんが全評論集『安井浩司俳句評林全集』(沖積舎)を刊行なさるのを記念して、俳句と批評を巡るインタビューを行いました。インタビュアーは金魚屋詩部門アドバイザーの鶴山裕司さんです。
安井さんと鶴山さんのお話は噛み合いますね。このお二人、資質は全然違いますが文学に対する姿勢がとても良く似ています。鶴山さんは安井さんについて、『安井さんは徒党を組まず、評価されようとされまいと、文句一つ言わずに早いペースで作品集を刊行してゆかれる。なおかつ作品レベルが衰えない』とおっしゃっていますが、これは鶴山さんにも当てはまるでしょうね。鶴山さんは安井さん以上に文学の世界に知り合いやお友だちがいないんぢゃないかなぁ。だから石川を邪険にしちゃ、ダメよぉ~ダメダメなのでありまふ(爆)。
安井さんは、『今という時代は、我々が描いてきた、あるいは育ってきた芸術の基盤が、俳句が先行する形で崩壊し始めているんじゃないかという予感があります。・・・いの一番に、俳句が先駆けておかしくなってきているんじゃないか。いずれ短歌、自由詩、あるいは散文の世界でも、俳句の世界で起こっている崩壊がやってくるんじゃないかと思います』と語っておられます。これは金魚屋アドバイザー陣が常日頃話している認識と全く同じです。だから文学金魚といふ、新たな文学的共通パラダイム構築のためのプラットホームを作ったわけですが。
文学界は現在、一種の悪循環に陥っていると思います。作家には作品発表のためのプラットフォームが必要ですが、文芸誌・詩誌などで新人賞を受賞しても、それがプラットフォームになるわけではない。物理的ページ数に制約がある紙の文芸誌・詩誌には作家たちがひしめき合っています。新人に限らずベテランでも作品発表の機会は限定されます。小説文芸誌では掲載まで時間がかかり、何度も書き直しを命じられるのが当たり前ですが、本当に必要だからそうしているのか順番待ちの口実に過ぎないのか、作家も編集者もわからなくなっているのではなひでせうか。時間と労力をかけ研ぎすまされた作品であるはずなのに、いっこうに読者は増えないのでありまふ。
現在のように先行きが不透明な時代には、強い信念を持って扉をこじ開けるような作家が必要です。そのためには一定レベル以上の作品を量産し、それをコンスタントに発表してゆけるプラットフォームが必要不可欠です。新しさを期待できるプラットフォームでなければならない。文学金魚は現在毎日更新の形態を取っています。優れた原稿を書いて発表したと思っても、その余韻に浸っている暇はない。次々に書いていかなければ文学金魚方式のプラットフォームでは頭角をあらわせません。またそのくらい積極的かつ大量に社会に向けて作品を発表していかなければ、現状の不透明な状況を脱却できないだろうと思います。
作家を取り巻く状況は厳しいですが、これからさらに厳しくなる可能性が高いです。プライドが高いのは良いことですが、ちょっと評価されて斜に構えた先生気取りになるようでは何も変えられません。中堅ベテランクラスの文学者の大半が苦労しているのです。でも書かなければなにも始まらない。文学金魚はがむしゃらに正面中央突破を目指す作家向きのプラットフォームです。安井さんが語った『崩壊』は新たな試行を行い道を切り拓いてゆきたい文学者にとっては、大きなチャンスでもあります。
■ 『No.004 【『安井浩司俳句評林全集』出版記念】俳句と批評について』 pdf 版 ■
■ 『No.004 【『安井浩司俳句評林全集』出版記念】俳句と批評について』 テキスト版 ■