Interview:安井浩司
安井 浩司:昭和11年(1936年)秋田県生まれ、能代高校卒。高校生の時、青森高校の寺山修司、京武久美編集の10代の俳句同人誌「牧羊神」に参加。昭和34年(1959年)、永田耕衣主宰の結社誌「琴座」に同人参加。昭和39年(1964年)より高柳重信主宰の「俳句評論」同人。昭和48年(1968年)、加藤郁乎、大岡頌司らと俳句同人誌「ユニコーン」を創刊。俳壇と距離を取り、徹頭徹尾、俳句を〝文学〟として考え、その可能性を探究し続けている希有な俳句作家。作品集に『増補 安井浩司全句集』、評論集に『海のアポリア』などがある。今年(2014年)11月に全評論集『安井浩司俳句評林全集』が刊行される。
安井浩司氏は今年刊行の『宇宙開』に至るまで、全十六冊の句集を刊行している。前衛俳人としては極めて多作だが、そこには俳人は優れた作品を書かねば俳人足り得ないという安井氏の信念がある。しかし安井氏は批評をおろそかにしているわけではない。『声前一句』、『もどき招魂』、『海辺のアポリア』の三冊の評論集を刊行し、必要十分な量の批評を書いている。今回は全評論集『安井浩司俳句評林全集』の刊行を機に、俳句と批評の関係について安井氏にお聞きした。
文学金魚 詩部門アドバイザー 鶴山裕司 (インタビュアー)
■批評について■
鶴山 お久しぶりです。今回は全評論集『安井浩司俳句評林全集』が出版されるので、そのパブリシティを兼ねたインタビューをお願いしたいと思います。とはいえそんなに難しいお話をするつもりはありません。年に一度は安井さんとお会いしてじっくりお話したいのですが、仕事にかこつけるとお訪ねしやすいものですから(笑)。
安井 全評論集は出版されていないので、まだ実感がないなぁ(笑)。
鶴山 『安井浩司俳句評林全集』の内容は、基本的に既刊評論集『声前一句』、『もどき招魂』、『海辺のアポリア』が中心ですか。
安井 そうです。それ以外に、折々に書いた短い文章も最後に収録してあります。これは単行本未収録ですね。
鶴山 未発表原稿はありますか。
安井 ありません。全部発表したものです。
鶴山 僕は年を取ってきたせいか、年々評論を書くのがイヤになってきています。できれば創作だけがいいです。安井さんはどうですか。
安井 私は最初から評論を書くのはイヤだった(笑)。俳句は子供の頃から書いていて、今でも書いているわけだけど、じゃあ俳句を書くのがイヤかと言うと、イヤではない。ところが評論を書くのは若い頃から嫌いだった。だから私の場合、ずっと評論を書くのはイヤで来たんです。特に最近は嫌いですけどね(笑)。また、あまり評論を書く機会もないです。たまに依頼が来たりするんだけど、それはまあ、お付き合いの範囲の原稿です。かつてのように俳句について夢中で探索していくような文章は、最近ほとんど書くことがありません。
鶴山 安井さんは俳壇ジャーナリズムからは、ある程度、距離を取っておられますからね。
安井 私は時評や書評を書くのがあまり好きじゃないからなぁ。ああいった原稿を引き受ける人は、ジャーナリズムから重宝がられて次々に依頼が来たりしますが、私はそういう仕事は楽しくないんだな(笑)。でも永田耕衣先生は偉かった。耕衣先生の仕事は間近で見ていましたが、本格的な評論もお書きになりましたが、お付き合いの時評や書評なども実に丁寧に書いておられた。イヤだったろうなぁと思います。でも年を取って振り返ってみますと、イヤなこともやらなきゃダメなんだろうなって思います(笑)。
鶴山 耕衣さんは勘のいい方で、時評や書評でも、その時々のご自分の関心事を九割お書きになった。批評対象の句集や俳人については一割しかお書きにならないわけですが、それがかなり正鵠を衝いていたと思います。
安井 そうそう(笑)。それに耕衣先生は「琴座」という雑誌を主宰しておられたでしょう。私は雑誌を主宰したことはありませんが、雑誌主宰者は毎号なにかしら書かなきゃダメなんです。門弟や同人の啓蒙という意味もありますし、もちろんお付き合いの原稿もある。門弟や同人が句集などを出した時は、やっぱり主宰者が何か書かなきゃならない。そういう文章を書き続けられる雑誌主宰者の方は、偉いなぁと思いますよ。
鶴山 安井さんは、作品ならどんな雑誌にでも確実に毎号掲載できるじゃないですか。
安井 全評論集の後書きで告白しましたが、私はいっとき、特別大きな声で叫んだわけではないですが、散文は書きませんよ、と脱散文宣言をしたんです。それは句集で言いますと、『句篇』全六冊の仕事に入る前のあたりです。散文を書かないで、作品を作ることに専念したんです。
鶴山 詩壇ジャーナリズムから求められる散文は、いわゆる状況論が多いです。今なにが起こっていて、どんな作品集や雑誌が出版されているのかをレジュメする、時評、書評、状況論のたぐいがほとんどですね。ただそれよりも、いわゆる〝見ぬ世の友〟の優れた作品を読み、批評を書いた方が圧倒的にためになる。また同時代で優れた作家が出現する確率はとても低いわけで、実体としては低調な現状を泡立たせるためのツールとして状況論的ジャーナリズムがある。状況論は、書かないなら書かないでいいんじゃないでしょうか(笑)。
安井 でも周りを見渡すと、偉い方は作品と状況論の二刀流ですからね。皆さん偉いものだなぁと改めて感心しますよ(笑)。
■安井氏の創作ペース■
鶴山 だけど普通の詩人は、そんなに作品を書いていないんじゃないかなぁ。安井さんはだいたい一日二十句くらいお書きになるでしょう。
安井 今はだいぶパワーが落ちましたけどね。一日十五句書くらいです。一日十五句は最低でも書きたいと思っていますが、それでもかなりきついです(笑)。
鶴山 一日十五句書いていれば、状況論などの散文の仕事はできませんよ。たいていの詩人は暇なんです(笑)。
安井 暇を作る作業が、それぞれの詩人にあるんじゃないでしょうか。たまにやるんですが、ここ二三日、ちょっと作品を書くのを休んでみたんです。そしたら実に暇があることを痛感しました(笑)。こんなに暇なのかと思いました。昨日は図書館に行ったんですが、書物の整理で休みですという張り紙が貼ってあった。図書館に行けないとなると、もうやることがないんだな。作品を書かないと、私の場合、暇になります(笑)。
鶴山 自由詩の詩人は、だいたい四、五年に一回詩集を出して、四十篇くらい作品を収録します。年八篇から十篇ペースですね。また百篇書いてそこから四十篇選ぶわけではないです。
安井 それは初めて気づきましたが、やっぱり作品数が少ないっていう実感がありますか。
鶴山 あります。俳句、短歌に限らず、自由詩だって意外と短時間で書けてしまいます。時間をかけていい作品ができるとは限らないジャンルです。ただ定型があるかないかは大きな違いで、自由詩の場合、それが作品の数を書けない大きな要因になっています。だから一年十篇くらい詩を書いて、あとは状況論を書き飛ばすのが詩人の日常になってしまう。暇と言えば暇だな(笑)。俳人は作品をたくさん書かなくても、結社主宰者などになって人のお世話をすることを仕事にしていく、忙しい日常にしていくという構造があります。安井さんのように、自分の作品を書くことで忙しくしておられる詩人は非常に珍しいですよ。
句集『増補 安井浩司全句集』
沖積舎
定価 18,514円
平成二十一年(二〇〇九年)発行
安井 私は朝から晩まで、今日は忙しかったなぁという思いで過ごします。もちろんここの図書室、あそこの図書室と、いつも行く場所はあって、そこを巡りながら作品について考えて書いて、夜になるとそれを家で整理するという一日です。だいたいそれで一日使っちゃうんです。そういう一日を過ごして、一日十五句書けるか、書けないかってところです。でも休むわけにはいかない。休むと必ず後でツケが回ってきますから。まあこういう工房の内部の話をしても、たいした意味はないんですが(笑)。
鶴山 そんなことはないです。安井さんは僕のような人間にとっては心の支えですから(笑)。いろいろご不満もあるでしょうが、文句一ついわず、淡々と仕事をなさっている。
安井 淡々と仕事をしてるのは、その通りかもしれませんね(笑)。
■厳しい批評の必要性■
鶴山 安井さんは一時期、ポレミックな散文をお書きになったこともありますが、最近ではそれもおやりにならないでしょう。
安井 そうですね、最近ではまず批判めいたことは書きません。昔とは逆に、最近散文を書くときは、ちょっと誉めすぎたかなぁという思いはあります(笑)。それはプラス思考で考えるようになったからですね。他者を救済するということは、自分が救済されることでもあるといった哲学を持つようになりました。これは耕衣先生の仕事なんかから学んだ哲学です。でも高柳重信は耕衣先生とは違うタイプだったな。高柳さんは最後まで厳しい批評を書きましたが、その分、作品の方がちょっと犠牲になった部分があるような気がします。現実に、高柳さんは作品が書けない時期があったからね。
鶴山 高柳さんは六十一歳でお亡くなりになられたでしょう。
安井 作品を書くには若くして亡くなりすぎた。だけどその前に、作品が書けなくなる時期があった。私が東京に遊びに行くと、「安井、俺、作品書けないんだよ」って、泣き言みたいなことを言うわけです。それで当時私は高山に住んでいましたから、「高山に行ったら書ける気がするんだ」と言って、高山に来て『飛騨』という連作作品を書きました。あれが高柳さんの復活のきっかけになった。ただ本当の復活だったのかなぁ。その後、晩年に句集『日本海軍』を出しましたが、あれは遊びというか、趣味の世界に入ったという感じがします。
鶴山 重信さんは前衛俳句を牽引するリーダーでしたが、安井さんにおっしゃった「書けない」という告白も含めて、個の輪廓がはっきりした作家でした。今振り返っても、前衛俳句運動が徒党を組んでいたという気がしないのも、重信さんがいたからでしょうね。
安井 俳壇では、最近では若い頃から早々と徒党を組んでるんだよなぁ。私らの若い頃は、簡単に他の創作者に気を許さなかったです。トゲトゲしくて、第三者を見ると論争しようよって感じだった。それを通過しないと仲良くなれなかったです。他の創作者を否定するのは、同時に自己否定することでもあったわけです。いろんな意味で先に進まなきゃならないから、そう簡単に他者も自己も受け入れられない。現状を肯定したらそこで止まっちゃうわけです。だから否定は先に進むためには必要なことです。最近の俳壇では結社より同人誌の方が盛んなようです。同人誌が悪いとは言いません。でも結果として、私らが作ったような同人誌にはなってないような気がします。仲間を作って、仲間同士で評価し合うような感じになっていますね。
鶴山 同人誌は似た資質や目指す方向がいっしょの創作者が集まるわけですが、最近の同人誌は仲間に対する評価が甘過ぎますね。何をするにしても、「うちの同人誌、同人が」といった発言がとても目立ちます。あまりよろしくないんではないかと思います。
安井 若い頃は、誰だって自分の美学に自信がないですから、弱い者同士が同人誌に集まるのは自然の理かもしれません。ただそれとなあなあ主義になってしまうのは、また別の話です。私も若い頃は、大岡頌司なんかとよく論争しましたよ。大岡も、ハラハラするくらい気の強い男でね。ダメだと思ったら、どこまでも噛みついて行くんです。これは殴られるんじゃないかって思うくらい、勢いのある男だったなぁ。私なんかは優しい方でしたよ(笑)。
■「もどき論」の背景■
鶴山 散文の話に戻りますと、安井さんの評論では『もどき招魂』の表題作などがみんな一番気になるんじゃないかと思います。ある種の言霊について書いておられるんですが、重信さんとはまた質が違う。安井さんは重信さんについて、俳句の王道をまっしぐらに突き進んだ詩人という意味のことを書いておられます。まったく正しいと思いますが、安井さんは俳句の本質=言霊に憑依するんだと書いておられる。重信さんのように、俳句は未来永劫不滅の芸術だとは捉えておられないような感じです。
安井 戦後に桑原武夫の『俳句第二芸術論』などが出たでしょう。俳句は現代から遅れた芸術である、古色蒼然とした文芸であるとして総スカンを食らったわけです。その衝撃を我々の世代はまともに食らった。これから俳句を書いていこう、新しいことをやろうとしている矢先に、頭から冷や水をぶっかけられたような感じですよ。それに当時は我々と同じような世代の現代詩の詩人たちが、新しい試みを華々しく始めた。とても斬新な試みをやっているように見えたんです。俳句はこれでいいのか、遅れてるんじゃないかっていう劣等感を抱きましたね。ですから我々の世代には、スタート時点から、俳句をなんの疑問も抱かずに信じていいのかという課題があったんです。俳句はこれでいいのか、おかしいんじゃないのか、いや待てよ、といった思考の繰り返しが自分の中にありました。桑原さんの『俳句第二芸術論』は、高柳さんから上の世代を念頭に置いて書かれたわけだけど、彼らの中で俳句はしっかりとして揺るぎない芸術として捉えられていたように思います。だから桑原さんの『俳句第二芸術論』で動揺することは、あまりなかったんじゃないかな。それは西東三鬼とか耕衣先生も同様です。今まで通りでいいよっていう、堂々とした態度だったです。
評論集『もどき招魂』
端渓社
昭和四十九年(一九七四年)発行
鶴山 俳句芸術は明治維新で激しく動揺したと思いますが、正岡子規が立て直した後は、桑原さんの『俳句第二芸術論』が出るまでは、俳句人口も増え続けて順調に進んでいったと思います。
安井 だから私らの世代は、俳句芸術に対して絶対的な信頼を置いているわけではないんです。俳句芸術に対して複雑な感情を抱いています。疑いながら信頼しているようなね。今回、『もどき招魂』を読み返してみて、改めで四苦八苦して書いているなぁとつくづく思いました。ずいぶん悩んで書いているけれど、この悩みは当然だろなぁとも実感しました。
鶴山 評論って、何を書いたか忘れますね(笑)。
安井 そうそう、忘れます(笑)。今回読み返してみて、若い時にこんなことを考えていたのかとか思いましたもの。俳句作品は忘れないんだけど、評論は何を書いたのかあんまり覚えていない(笑)。
■前衛俳句の様式化■
鶴山 二十世紀的な前衛俳句の流れは、安井さんで終わりではないかと思います。前衛俳句運動は、新しい表現を模索する試みと、俳句形式の本質を探究するという指向が一体化したものでした。ところが新しい試みがほぼ出尽くした感がある。若い、といっても四十代から五十代の俳人を含みますが、彼らの試みを見ていると前衛俳句の様式化が始まっている。今回は安井浩司風に書こう、重信、赤黄男、加藤郁乎風に書こうという感じです。この傾向は当面続くと思います。もちろん今後、新しい試みが出てくる可能性はありますが、かなり古典的な所に行ってしまうような気がしないでもない。
安井 その傾向は確かにありますね。新しい試みと言っても、私の目から見れば遊びが目立ちます。これからはまったく骨組みとするような柱がなくなって、砂浜でみんな集まってわいわい遊んでいるような世界、あるいは昔の俳諧連中のように、師をたのんで俳句を趣味として楽しむ世界が主流になるかもしれません。まあこれは昔から俳句の世界にはあることですけどね。いずれにせよ俳句を文学として捉えるという指向は希薄です。何か一つのステージが終わったのかもしれないという気はします。
鶴山 二十世紀的な、新しい表現と俳句本質を探究する前衛俳句の流れは安井さんで最後だろうと僕は思いますが、またこれが良くできたもので、その最後の砦の安井作品がよくわからないんですね(笑)。
安井 それはやっぱりダメだってことじゃないかなぁ(笑)。
鶴山 それについては、失礼ですが僕は考えたことがあるんです。安井作品は、凄いかダメかどっちかだろうというふうに考えました。そこそこ良いとか、そこそこ悪いといった、中間がないだろうということですね。僕は凄いと思っていますが。
安井 やっぱりダメな方なんですよ(笑)。物を書く時は、常に俺はダメなんじゃないかと思って書いていますしね。
鶴山 創作者は自分はもしかしたらダメなんじゃないかって疑うような、ちょっとマゾであった方がいいと思います(笑)。
安井 自信たっぷりで書いておられる方は、けっこう多いんじゃないかと思いますが、そういう方はうらやましいですね。
鶴山 安井作品がわからないというのは、前衛俳句を含めて、今までの俳句のセオリーとは何かが決定的に違うからだと思います。でもこのセオリーが、二十一世紀的な、新しい時代の俳句の基盤になる可能性は高いだろうと思います。
安井 昔の古い俳句という意味ではないですが、自分自身では割とクラッシックな作品を書いていると思っているんですがね(笑)。ただ一つ言っておきたいことがあるんだけど、今という時代は、我々が描いてきた、あるいは育ってきた芸術の基盤が、俳句が先行する形で崩壊し始めているんじゃないかという予感があります。芸術に対する概念というものが、俳句が一歩先行する形で壊れ始めて来ているんじゃないか。そういう動きが密かに始まっているんじゃないかな。そう予感するんです。いの一番に、俳句が先駆けておかしくなってきているんじゃないか。いずれ短歌、自由詩、あるいは散文の世界でも、俳句の世界で起こっている崩壊がやってくるんじゃないかと思います。これ以上付け加えることはできませんが、そういう予感が私にはあります。
■自由な俳句表現を求めて■
鶴山 僕もまったく同じ感覚を持っています。ただ俳句人口は一千万人を超えるそうで、いろんな考え方があります。総体的に言えば、俳人は傲慢で不平家ですね。俳句の世界では評釈が盛んですが、一句をどこで、誰が、なんのために詠んだかを徹底的に解読します。詩を散文的に完全読解するわけですが、その背後には、日本人は全員、俳句を理解できるはずだという傲慢に近い確信があるんじゃないか。その一方で俳句芸術は不当に低く評価されているという不平・不満が俳句界には充満している感じです(笑)。
安井 俳句は誰にでもわかるべきだと考えている俳人の方が、はっきり言えば九割九分でしょうね。私は残り一パーセントの方ですが(笑)。私は俳句は日本人の誰でも理解できるものだという考えは持っていませんが、俳句はもっと自由な表現であるべきだと思います。いろいろあっちこっちに飛んで歩いてもいいんじゃないか。うまい言葉が見つからないんですが、自分は俳句表現を、かなりあちこちに飛ばして来たという意識はあります。
鶴山 でも安井さんは日本文学の古層をおさえておられますから。評論集『海辺のアポリア』収録の「高屋窓秋論への試み」で、窓秋さんの「山鳩よみればまはりに雪がふる」を取り上げて、この句を芭蕉が読んだら驚くだろうという意味のことを書いておられますね。
評論集『海辺のアポリア』
邑書林
定価 2,571円
平成二十一年(二〇〇九年)発行
安井 高屋窓秋のあの作品は、『万葉集』の世界に近いんじゃないかと思ったんです。だから芭蕉が『万葉集』をじっくり読めば、ちょっと違う思いを抱いたんじゃないかと考えたんですね。芭蕉は芭蕉でいろいろ研究されていまして、彼は相当に中国文学から影響を受けています。それをうまく利用してユニークな世界を作り上げた。私は芭蕉文学の根底にあるのは、中国の漢詩が持っていた世界ではないかと思います。あの世界観が芭蕉文学を支えているんじゃないでしょうか。でも『万葉集』はまた別です。あれは日本の仮名文字が持っている世界観で支えられているようなところがある。そんな思考回路で窓秋を読み解いたんですが、確か「水性の言語」って書いたんじゃないかな。それは私の直観ですよ。今回、窓秋論も読み返してみたんだけど、当たってるんじゃないかな。
鶴山 安井さんの評論は的確です。たいていの俳句評論は、評釈または非論理的な雰囲気批評で、俳句以外の世界では通用しないと思いますが、安井さんの批評は一般文学批評として読むことができると思います。
安井 自分としては、論理的な頭脳は持ってないと思うんですけどね(笑)。だから私は大学で日本文学や哲学なんかを教える職業には就けなかったと思います。むしろ私の評論は、体当たりの文章だと思います。非常に肉体的なところがあるんじゃないか。最近ある人に「安井さんの文章からは、肉や血や体温を感じ取れる」と言われたんですが、「そうだね、俺もそう思うよ」と答えました。それは体当たりの文章だからだと思います。
鶴山 安井さんには同時代俳人論で素晴らしい高柳重信論、加藤郁乎論があります。また抽象的俳句論にもどき論がある。同時代批評と抽象論で優れた評論があるわけで、必要十分な量をお書きになっていると思います。
安井 この前『安井浩司「俳句と書」展』のカタログを作った時に、あの中に収録したインタビューで「安井浩司は余り来し方を語らない、プライベートなことは語りたがらない」という意味のことをあなたはおっしゃいましたね。
『安井浩司「俳句と書」展』公式図録兼書籍
金魚屋プレス日本版
定価 1,620円
平成二十四年(二〇一二年)発行
鶴山 ええ、出身大学も公表されていなかったので、安井さんはモグリの歯科医じゃないかって噂を聞いたことがあります。モグリで歯科医の技術を習得する方が大変なんじゃないかと思うんですが(笑)。
安井 それは楽しいねぇ(爆笑)。今回、全評論集を作るのに昔の散文を読み返したんですが、けっこう自分のことばっかり書いているんですね。ここで飯食ったとか、こっちの柱の方にいたとか、そんなことをかなり書いています。なんだ、自分のことばっかり書いているじゃないかと思いましたよ。耕衣先生もそういうところがあったけど、これはお師匠さん譲りかな(笑)。だから散文を書くときは、一応はメモなんかを用意するんだけど、柱になるのは自分の血とか筋肉、神経なんですね。
■孤独と創作■
鶴山 評論集『もどき招魂』は第四句集『阿父学』と同時刊行(昭和四十九年[一九七四年])で、それから五年後に第五句集『密母集』(五十四年[七九年])が出ます。そのせいか、『もどき招魂』と『密母集』を一体のものとして覚えておられる方が多いように思います。安井浩司という俳人は、護摩を焚いて密教的な秘儀に耽っているといったようなイメージですね(笑)。でも密教的なものは、安井さんにとって通過点に過ぎなかったように思います。
安井 まあ酒ばっかり飲んでいましたけどね。でも加藤さんの酔っぱらいとはまた違うんだな(笑)。
鶴山 郁乎さんは酔っぱらうと、「天皇陛下バンザーイ」ですから(笑)。
安井 私はこっちに来たりあっちに行ったり、一貫していないから皆さんにいろいろ誤解を与えますけど、それはそれで楽しいじゃないですか(笑)。
鶴山 そう、安井さんは面白い。やはり謎があるからでしょうね。安井さんは俳句作品で、あり得ないもの、遠いところにあるものを組み合わせたりなさいますが、あれは意識的にやっておられるんでしょうか。
安井 意識的にやっているわけじゃないですが、いつのまにかそういう習慣がついているんでしょうね。
鶴山 ここまで意味的に、思想的に読み解けない作品をお書きになる俳人は安井さんしかいないと思います。一つ前の句集『空なる芭蕉』の最後の方で、綺麗にまとめようという意志がちょっと見え隠れしたなと感じましたが、じゃあそこから思想が読み取れるのかというと、そうではないですね。
安井 これは全く別の話かもしれないけど、私はここで独りでいるわけです。そうしますと、信じがたいかもしれませんが、一日、朝から夜まで誰ともひと言も話をしないんです。何も会話しない。だから今、よく声が出るなぁと思うくらいです。ただ独りでいるんです。そうすると、あっちに迷ったりこっちで迷ったりという思考回路が、自ずから出来上がっていくんじゃないかと思うんです。関東にいれば友達がいますし、あるいは教師という職業をしていれば、生徒たちと触れ合うことができる。俳句のグループを作れば、仲間がいるわけです。そういうことをすれば、自分という柱が割と明確に見えてくるんじゃないかと思うんですね。自分を映す鏡というものが、自ずから出来上がってゆくんじゃないかと思います。ところがこっちに来てからは、そういった柱や鏡がないんです。こっちに転がったら転がりっぱなしです。そうすると、安井浩司ってなんだろうという形で、作品も出来上がってしまうような気がするんですね。だから半ば酔っぱらったような作品になるんじゃないかな(笑)。
■米代川河口の安井氏生家について■
鶴山 酔っていれば読み解けます。醒めているから難しいんです(笑)。『安井浩司「俳句と書」展』を作る時に、安井さんのご実家があった米代川河口辺りに行ってきたんですが、迫力のある土地ですね。川なんだけど海です。僕が行った時はあいにく雨だったんですが、非常に不思議な光景でした。美しいんだけど怖い感じです。安井さんはエッセイで、米代川は凪いでいても底の流れが速くて、溺れることがあると書いておられましたが、なにか安井さんの俳句世界みたいだなと思いました(笑)。
安井 川で遊ぶなと親から言われていましたが、あの川で何度溺れて死にそうになったかわかりませんよ。実家は材木屋でしたから、安井家の船があったんです。小学校の三、四年生の時に友達とその船を漕ぎ始めたんですが、たちまち流されました。「助けてくれー」と二人で騒いだら、ちょうど大人の人が岸で船を操っていて、慌てて駆けつけて船縁を掴んで止めてくれた。あのまま乗っていれば、海まで流されて、どうなったかわからないですね。泳いで溺れかかったことは何回もあります。
鶴山 河口は流れが速いでしょう。
安井 川の水が上に流れていて、海の水が下に流れているんです。もの凄く流れが複雑で危ないですよ。対岸はすぐそこに見えるんですが、泳ぎ渡るのは難しいです。
鶴山 海が西の方角ですね。
安井 そう、太陽がどーんと沈んでいくんです。
鶴山 海っぺりは、尋常じゃなく風が強いですよね。
安井 あそこは猛烈に強い。だから昭和二十四年(一九四九年)の能代の大火が起こったんです。海辺のある製材所から発火しまして、風に煽られて、我が家のあたりから街中までずーっと燃えてしまった。能代の町の半分が燃えてしまったんです。凄かったですね。消防署の皆さんは消火に出かけたけど、帰ってきたら自分の家が燃えてなくなっていたという話も聞きました。
鶴山 あの生家のあたりに行くと、安井さんの作品世界がちょっとわかったような気になります。
安井 なにかあるんでしょうね(笑)。
安井氏生家前から河口を臨む。橋は能代大橋
鶴山 安井さんは、大学生の頃だと思いますが、一時期本気で自由詩を書いておられましたね。
安井 俳句を捨てたわけではないですが、かなり夢中で書いていました。
鶴山 弟さんの追悼詩がありましたが、お亡くなりになったんですか。
安井 そう、弟が中学生の時に急性肺炎になって、亡くなってしまったんです。ショックだったですけどね。
鶴山 俳誌「群蜂」に安井さんが投稿された句を全部読んだんですが、意外と自由詩の「荒地」派などから影響を受けておられますね。
安井 受けてます(笑)。若い頃はいろんなところから影響を受け、また勉強もするからね。でも今の社会もまだ戦後を引きずっているでしょう。この前、ある人の句集に文章を添えたんだけど、まだ戦後は続いていて、私たちは未解決な部分を引きずっているという意味のことを書いたんです。その人の作品の中にもそういう戦後的なものがあるし、安井浩司の作品もその中に含まれるかもしれない。若い人は結論を急ぎがちだから、戦後は終わったと思いたいかもしれないけど、まだいろんなところに戦後的な問題は染みこんでいると思います。
■最新句集『宇宙開』について■
鶴山 少し最新句集『宇宙開』のお話をしたいと思います。句集末尾の句は「消えるまで沙羅を登りゆくや父」ですね。
安井 「沙羅」は娑羅双樹の木のことです。
鶴山 「抽象の輪を投げ孔雀捕らえんや」は安井さんらしい句です。
安井 できるだけそういう句を書きたいとは思っているんですがね。
鶴山 「師と少年宇宙の火事を仰ぎつつ」。こういった句を伝統的評釈はもちろん、意味や思想から読み解くのはとても難しいです。
安井 実を言うと、今回の『宇宙開』は四苦八苦して出したんです。もっと頑張りたかったんだけど、疲れて疲れてしょうがなくてね。読むのも大変だと思いますが、作る人はその三倍は疲れるんです(笑)。これはもうダメだ、ここでピリオドを打っちゃえと思って、原稿を出版社の方に渡したんです。でも結論から言えば、自分でもこの句集がどんな句集なのか、よくわからないんだな(笑)。こういうことは初めてですね。この前の『空なる芭蕉』までは、ある程度は自分で掴めた。でも『宇宙開』は、もやっとして掴めないんです。豊口陽子に会った時に、「豊口さん、俺、この句集、いいんだか悪いんだかわからないよ」と泣き言をこぼしたことがあります。作者にもわからない句集を書いたのは、初めてですね。本当によくわからない。それに呼応したように、この句集については誰からもなんとも言ってこない(笑)。ものの見事になんの反応もないんです。いつもですと、かなりいろんな人が意見を言ってくれたり、あるいは雑誌なんかに書評が載ったりするんです。でも今回は雑誌にも書評が出ない。手紙もちょうだいするんですが、『宇宙開』については何も書いてないんです。
句集『宇宙開』
沖積舎
定価 4,173円
平成二十六年(二〇一四年)発行
鶴山 実は僕も頭を抱えています(笑)。静かな句集なんですが、枯れているわけでは全くない。前の句集『空なる芭蕉』は後半になるにつれて徐々に盛り上がっていくように構成されていましたが、今回は泡立ったまま静かだという印象です。一つ言えるのは、『宇宙開』を正確に読み解く、批評するためには、批評する側が新しい批評の言葉、つまり俳句に対する新しい認識を作り出さなければならないんじゃないかということです。それがなかなか難しいんです。
安井 今までの評価軸に合わなかったのかな。ものの見事に反響ゼロで、書いた本人もいいのか悪いのかよくわからないままです(笑)。今までの句集以上にエネルギーを使って書いたんですけどね。
鶴山 僕は安井さんの俳句は絶対的に素晴らしいという立場です。そうでなければ秋田にお訪ねしませんし、『安井浩司「俳句と書」展』のカタログも作りません。でも『宇宙開』は難しい。読み解くのにはもうちょっと時間がかかりそうです。
■評論集を出すということ■
安井 これは『安井浩司俳句評林全集』のゲラなんですが、ちょっと目次だけ見てください。最後の章が、まだ単行本未収録の評論です。三十数編あります。
鶴山 八一六ページですか。厚い本になりますね。
安井 評論集はチャンスがある時に出しておかなければならないと、出版社に言われましてね。たくさん評論をお書きになった方でも、評論集は出していなくって、今読もうと思っても読めない方がたくさんいらっしゃるんですね。三橋敏雄っているでしょう。彼も句集は出ているんだけど、評論集はないんです。読もうと思っても読めない。彼もいろいろ書いていたんですけどね。
鶴山 島津亮さんは、お亡くなりになった後に、息子さんが『亮の世界』という私家版をお出しになりましたね。俳句と散文が入った本でした。島津さんは乱暴な文章を書きましたね。居丈高なんだけど、愛がある文章でした(笑)。
安井 そうだったね。ちょっとヤクザっぽいところがある人でね(笑)。でも面白い男でしたよ。昔はああいう変わった連中も、いろいろいたんです(笑)。
鶴山 島津さんは安井さんより年上ですよね。
安井 彼は従軍していますからかなり年上です。島津さんは私や大岡頌司、加藤郁乎さんなんかとやっていた同人俳誌『Unicorn』の仲間だったです。志摩聡という俳人もいて、彼も格好いい作品を書きましたが、散文は本にまとまっていません。俳人は句集までは出せるんですが、散文集はなかなか出す機会がないんです。本格的に散文を書いておられる方々は、散文集を出しておられますけどね。
鶴山 本格的に散文を書いていると言っても、なにをもって本格的と言うのかが問題です。新聞・雑誌に時評を書けば、それなりに名前が通って散文集を出しやすくなりますが、時評中心に本をまとめてもしょうがないところがあります。
安井 マスコミも一回注文して書いてくれない人には、二回、三回と依頼したりしないからね。気楽に時評を書いてくれる人に、どうしても仕事が集中しちゃう。そういう人はそういう人で、気楽に引き受けることでマスコミとのルートを作っていくわけですが。
鶴山 一ヶ月に十冊とかの詩集・句集を読むのは大変ですが、はっきり言えば名作や問題作にぶち当たる可能性は低い。また時評でそれを論じるのは難しい。でも時評を続けていると自ずからそれがメインの仕事になってしまう。人間、自分がやった仕事は無駄と思いたくないですから、有意義なことをやっているんだと思っているうちに、わけのわからない所に行っちゃう人が多いですね(笑)。時評も必要ですが、どこかの時点で足を洗った方がいいと思います。そうでないと短期的状況を追いかける姿勢が身に染みこんでしまう。
安井 それが落とし穴なんだよな。結局、知らず知らずのうちに作品のレベルが落ちていくことになるんだけど、作者はそれに気がつかないんです。年を取ると自分に対して甘くなってゆくということもあるからね。
鶴山 気がついても他にやることがないんでしょうね。
安井 それに誰もあまり厳しい批評を書かなくなったでしょう。最近特に気になるのは、論争がすっかりなくなってしまったことです。
■思想の柱ということ■
鶴山 厳しい批評を書くと悪口だと取られるんです。
安井 ああそっか、批評じゃなくて悪口になるんだ。それは時代の流れなのかな。安井浩司も最近誉めるようになったから(笑)。
鶴山 批評を悪口だと受け取る気持ちもわかるんです。批評には信頼関係が必要です。あいつは批評する時は、公平な立場で書くだろうといったね。また批評の共通パラダイムも必要です。でも現代ではそういった共通パラダイムがなくなってしまった。
安井 今は批評を書く人が、思想というか自己基準を持っていないね。思想の柱を持っていないということでしょうね。
鶴山 俳句の世界では、前衛俳句なら安井さんがいらっしゃって、安井さんが何か言えば多くの人が耳を傾ける。いわゆる伝統俳句では、金子兜太さんあたりが何か言えばそれなりの影響力はある。でも中堅、若手の俳人が何か言っても、ほとんど影響がないでしょう。
安井 私も自分の回りを見まわして、彼が何を考えているのか聞きたいなという人が、いなくなっちゃった。私が年を取ったせいだけじゃなく、人が育って来なくなったのかなと思います。誰も真剣を振り回して戦っていないですね。
鶴山 一昔前の時評には、確かに生殺与奪の権があったと思います。作品集を出した詩人は時評で取り上げてもらえるかどうか、ドキドキして待っていた。それは時評者が偉かったというより、詩の世界に共通パラダイムがあったからだと思います。それが消滅してしまった現在では、時評は時評者の友達と、取り上げられた詩人しか読まないんじゃないか(笑)。時評を書くより腰を据えて共通パラダイムを探る方が先だと思います。
安井 私のところにもいろいろな同人誌が送られて来ます。読んでみると、なあなあで集まっていることがすぐわかる。同人が十人いるとすれば、それが一つの世界を形作っています。同人誌が全世界で、そこで楽しくやれればいいという感じです。同人誌以外の別の世界に大砲を飛ばしてやろうとか、そういった気概は私が見る限りなくなったですね。これは俳句同人誌の話だけど、商業誌として出ている俳句綜合誌も面白くない。また時評を書いている人は、それはそれで尊敬するけど、私はきちんと俳句作品を書いている人以外は認めないから。自分がそういうあり方で来たものですからね。散文はあんまり書かない、そのかわり作品で勝負だぞ、それが当たり前じゃないかという気持ちが私にはあります。俳人は、俳句作品で悩まなきゃダメです。
■世界観について■
鶴山 安井さんはとても珍しいタイプの俳人だと思います。作品が全く衰えないし、衰えたら自分でわかるタイプですね。
安井 だけど私は散文を蹴っ飛ばしちゃってるから。
鶴山 散文は書かないなら書かないでいいんです。それに安井さんは、散文を必要十分な量、書いておられる。時評なんかを蹴っ飛ばしたんです。
安井 そうだよね(笑)。私はどうしても、時評、書評を書くのがイヤなんだな。でもこの世界にいる以上、致し方ないから、最近では最低限の散文は書くんだと覚悟しました。イヤな時は耕衣先生を思いだして我慢したりしてさ(笑)。
鶴山 安井さんの作品が衰えないのは、努力して身を律しておられるのはもちろん、ある世界観を把握しておられるからのような気がします。
安井 自分の作品では、世界観のようなものが根底になければいけないというのは、常に意識しています。それは必ずなければならない。世界といっても、アメリカだ、アフリカだ、中国だという意味ではありません。でも世界観という言葉でしか表現できない、ある総体があるじゃないですか。最後は宇宙論だと言ってもいいんだけど、世界観として、一筋通るものが作品になければダメだと思います。
鶴山 少数かもしれませんが、安井さんと同じような思いを持っている創作者にとって、安井さんは希望の星ですからね(笑)。安井さんは徒党を組まず、評価されようとされまいと、文句一つ言わずに早いペースで作品集を刊行してゆかれる。なおかつ作品レベルが衰えない。これは心の支え以外の何ものでもない(笑)。安井さんのような方が、本当は各文学ジャンルに数人はいて欲しいんですけどね。
安井 いないなぁ。こっちにいるよって推薦してあげたいんだけど、出てこないんだよ。
鶴山 俳句では安井さんお一人で十分です。なにせまだ完全に読み解けていませんから(笑)。今日は長時間ありがとうございました。
(2014/09/21)
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■ 予測できない天災に備えておきませうね ■