金井純さんのBOOKレビュー『絵のある本のはなし』『No.025 水の領分 詩・小原眞紀子 画・小原憲二』をアップしましたぁ。金魚屋で『文学とセクシュアリティ』を連載していただいている詩人・小原眞紀子さんと、お父様である憲二さんの詩画集です。金井さんは『創作者として、父親の画業を評価し、詩行とともに編集する作業は彼女にかかっている。・・・この書物は間違いなく憲二の絵のためにあるのだが、一方でその成立は詩人の絵に対する評価に依っている。ここでの詩行は絵を評価するためのものであると同時に、これらの絵の持つ無意識に近い力によってのみ生み出されたものだ』と書いておられます。不肖・石川も読みましたが、その通りであります。
今回のコンテンツでは憲二さんの絵をたくさんアップしましたが、これが素晴らしいのです。詩画集におさめられた絵は憲二さんが脳梗塞をわずらい、そのリハビリを兼ねて描かれたものらしひのですが、そんなことは微塵も感じさせない。純粋に絵画作品として魅力的です。金井さんも書いておられますが、様々な障害を持つ人のアート作品を、美術界では『アール・ブリュット』(生(き)の芸術)と呼びます。英語圏では『アウトサイダー・アート』と呼びますが、この場合、名前によってずいぶん定義が変わってしまいます。
『アール・ブリュット』を創始したのはアンフォルメルの先駆者ジャン・デュビュッフェです。デュビュッフェは自らの芸術思想に忠実に、従来のアートの枠にはまらない作品をアール・ブリュットと呼びました。それはアートの本道から外れる『アウトサイダー・アート』ではありません。またデュビュッフェが選び蒐集したアール・ブリュット作品は素晴らしい。デュビュッフェの目が優れているから素晴らしいコレクションになったわけです。なかなか言いにくいことですが、障害を持つ人たちが作った作品が全てが素晴らしいわけではない。自治体などが行うその手の公募展は頑張っている人々をチアーアップするのが目的ですが、芸術家がアール・ブリュット領域に手を出す時には倫理が必要です。小原さんのお父さんの絵を見る(選ぶ)目には、デュビュッフェと同質の厳しさがあります。
金井さんは、『憲二の絵についての小原眞紀子の選択眼は、純粋に言語的な判断である。新たな言語を生み出す無意識が醸造されているかどうか、その一点にかかる。・・・「至福」と題されているのも、死が近づいた憲二の生から、永遠なる何ものかを抽出しようとする手つきに他ならない。それはもとより絵が上手かったという憲二の才能から病いと年齢の力、偶然と直観の導きによって、多くのものを捨て去る作業であったに相違ない』と批評しておられます。この詩集に収録された小原さんの作品は短いですが、憲二さんの絵と同様、シャープにそぎ落とされた表現なのであります。
■ 金井純 BOOKレビュー『絵のある本のはなし』『No.025 水の領分 詩・小原眞紀子 画・小原憲二』 ■