山本俊則さんの美術展時評『No.037 生誕100年 松田正平』をアップしましたぁ。松田正平さんは超有名な画家ではありませんが、実に魅力的な絵を描いた画家です。山本さんは日本画、洋画、古美術を問わず、なんでも批評できる実に得難いお方でありますが、松田さんタイプの画家が一番お好きだといふことがひしひしと伝わるコンテンツです。
山本さんは『日本の洋画史は、大別すれば二つの流れに分類できる。一つは・・・〝前衛派〟である』とお書きになった上で、『しかし日本の前衛美術は再検討されるべき時期に差しかかっていると思う。・・・瀧口の死去以降、タケミヤ画廊・読売アンデパンダン派の美術家集団は実質的に解体する。・・・実も蓋もない言い方になるが、美術家たちは瀧口ほどには前衛美術について考えていなかった。言い換えればわたしたちは、かなりの部分、瀧口というフィルターを通して彼の周囲に集った美術家たちを見ていたのである・・・瀧口的夢のオブラートが潰えた瞬間に、彼らの芸術の魅力が色褪せ始めたのは確かである』と批評しておられます。
また『もう一つの流れは〝具象抽象派〟とでも呼ぶべき美術家たちの流れである。この動向は熊谷守一を嚆矢として始まると言ってよい。彼らは〝沈黙の画家たち〟でもある。前衛派のように美術を理論化することはほとんどせず、ひたすら絵を描くことで新たな表現を開拓しようとした。・・・彼らには最初から前衛の意識はなかった。具体物を詳細に観察し、それを絵画化しようとする際に独自の抽象化が起こるのである』と書いておられます。
このような思考は刺激的だなぁ。美術批評は詩の世界と同様、特殊なジャーゴン(仲間内言葉)で書かれる傾向があります。しかし山本さんのように平明かつ具体的で、実体に沿った言葉で美術を批評しなければ、それが広く読まれることはないだろうと不肖・石川は思います。
あ、今月はヴァロットン展から始めて今日の松田正平展まで、山本さんには7本美術展時評を書いていただきました。でもストックは後1本で終わりです。時間があればいくらでも書けるお方なんですが、みんな忙しいのよねぇ。ま、人間、忙しい忙しいと言っているうちはまだ余裕がありますな。本当に忙しい状態が日常になると、何も言わなくなるものです(爆)。山本さんには時間ができしだい、またどちゃり美術展時評を書いていただくことにします。
■ 山本俊則 美術展時評『No.037 生誕100年 松田正平』 ■