杉田卓也さんの連載映画批評『No.004 〈〝怪物〟の生態学〉を享受すること/『リヴァイアサン』』をアップしましたぁ。ハーバード大学感覚民族誌学研究所所属のヴェレナ・パラヴェル、ルーシァン・キャステーヌ=テイラーさん監督・撮影・編集・制作の海洋ドキュメンタリー映画です。こふいふ映画が公開されていたのですねぇ。不肖・石川、不肖ゆえに知りませんでした。映画評って内容はもちろん情報も大事だわぁ。
んで『リヴァイアサン』は海での漁の様子を記録したドキュメンタリー映画なのですが、かなりショッキングな映像表現が含まれているやうです。それを杉田さんはアンドレ・バザンの『沈黙の世界』(ジャック=イヴ・クストー、ルイ・マル監督/1956年制作)についての評論を元に読み解いておられます。『バザンにとって広大な海中の世界は、嘘偽りがなく、これまでも、そしてこれからも確実に存在し続けることが保証される、絶好の被写体だった。・・・バザンは科学技術の発展によって鮮明に捉えられた大自然の姿が、映画において製作者が手を加える部分(物語的な要素など)よりも詩情を醸し出していると感嘆し、批評の不可能性すら感じ取った』わけです。
しかし『リヴァイアサン』には、バザンが『沈黙の世界』に感じとったような美や秩序はありません。杉田さんは『『リヴァイアサン』は言うなれば、漁業という現象を精密検査する人間ドックのような映画だ。最初は外気に触れる甲板が中心的に配列されていたかと思えば、やがて船室の映像も多用されていくが、これはまるで骨格から内臓までCTやMRIで検査するかのようではないか』と書いておられます。『リヴァイアサン』には漁業の残酷さや海と空の美しさなどが、放り出すように表現されているやうです。
漁業が機械化されると大量殺戮的な死(魚のですが)が目立つようになりますが、人類は基本的に太古から同じことを繰り返してきたわけです。ただその捉え方が変わってきています。杉田さんは『リヴァイアサン』は、『観客が確かに知っているはずの漁業という活動への印象を覆し、新たな世界を視界に入れるものだった。<美学>というにはあまりにも乱雑な印象を受ける本作をあえて形容するならば、<“怪物”の生態学>とでも言うべきか。技術の発展により、その輪郭をほんの少し観客の視界に見せたこの“怪物”は、世界の至るところに転がっているのかもしれない』と書いておられます。その通りでしょうね。
食用の家畜として飼われている牛や豚や鳥でも、『リヴァイアサン』と同様の映画は作れると思います。ただアメリカでそれをやると、業界団体からもんのすごい圧力がかかりそうですけど。アメリカ人って日本や北欧の国の人々ほどはお魚を食べないので、お魚業界には強い業界団体がないのよねん(爆)。ただま、そういったローカルな事情は別として、『リヴァイアサン』がポスト・モダン的な世界の再構成(再構築)のヒントになる作品であるのは確かなやうですぅ。
■ 杉田卓也 連載映画批評 『No.004 〈〝怪物〟の生態学〉を享受すること/『リヴァイアサン』』 ■